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幸せでなくても絵を飾ろう

【文字数:約1,200文字】

 ここ数年は例の感染症で足が遠のいてしまったけれど、美術館をよく訪ねていた時期がある。

 きっかけは知人経由で入館券をもらったとかだったと思う。

 それまでは同じ金額を払うなら映画に行くほうが満足度は高いと考えていたし、退屈なのだろうという勝手なイメージも手伝って、わざわざ自分から行こうという気にならなかった。

 実際に訪れてみると昼前から間もなく閉館という時間まで滞在していた。

 驚いたことに実物の絵を前にすると、軽く10分は過ごせてしまう。

 作者の来歴や描かれた時期などの背景はともかく、絵の具の盛り具合を加えた3次元の物体は、小さいながらも建築を眺めているようだった。

 私は本格的なカメラ趣味があるわけではないけれど、スマートフォンで写真を撮るのは好きだ。

 撮りたい被写体にどんな角度、どれくらいの距離に位置するかで写るものが変わり、それが写真の面白さであり難しさだと思う。

 絵の鑑賞も写真と同じで、斜めに立ってみたり遠くから眺めてみたりして、受ける印象が違うなどの発見があったりする。

 絵のモチーフ題材そのものが面白いのは、ジュゼッペ・アルチンボルドが筆頭だと思う。

「春」
1563年 マドリード:王立サン・フェルナンド美術アカデミー美術館 所蔵

 人の横顔が花や葉を組み合わせて描かれており、近くに寄って細部を観察するも良し、遠くからマスゲームのように楽しんでもいい。

 気に入ったものがあれば複製された絵画を額縁に収め、目につく場所に飾ってみることを勧める。

 これまた始めは絵を飾るなんてと敬遠していたけれど、やってみると認識は大きく変わった。

 ちなみにヘッダー画像は今現在、部屋に飾っているクリアファイルで、裏からテープで留めれば絵画のように見える。

 飾った絵に対して常に意識を向けているわけではないし、ふとした瞬間に少しだけ眺めるくらいのものだ。

 それでも「見える位置にある」というのが重要で、何度も眺めているうちにモチーフや構図、彩色といった絵の要素が自然と分かるようになり、なぜその絵が気に入ったのかが言語化できるようになる。

 評論家ではないので始めは「いいね」しか言えなかったけれど、自分がその絵を好む理由について言葉にできたとき、とても嬉しかったと記憶している。

 これ、なんかいいんだよね。

 そのように話しても伝わりにくく、もどかしさを感じていた。

 1人だけで楽しむのなら言語化する必要もない。ただ、趣味を続けていくと何かしらの形で理解を深めたくなるし、趣味の話をする時間は楽しいものだ。

 こうしてnoteに書くのが良い例で、記事を書くために調べていたら過去に東京の国立西洋美術館でアルチンボルド展があり、1年半に渡るリニューアル期間が4/8で終わると知ることができた。

 たくさんの新しい物事を知るのとは別に、1つの物事に対して理解を深めようとする姿勢は、たぶん人生を楽しむのにも役立つのではと思うのだった。



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