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わたくしのこと、きらいにならないでほしいですわ~!

『女ことばってなんなのかしら?』平野 卿子 読了レビューです。
文字数:約1,200文字 ネタバレ:一部あり


 文字のみで表現される小説にとって、登場人物のセリフは重要だ。

 イラストなら容姿や服装といったもので人間性を表現できるけれど、文字のみだとキャラづけとして語尾に「ですわ」などと付け、人物の書き分けをしたりする。

 キャラ付けをするためにVtuberの方が使うことも多く、読んでいて連想したのが壱百満天原ひゃくまんてんばらサロメという方だ。

 本書でもそうした必要あっての女ことばに触れつつ、そもそも明治期の女学生たちが発祥であると解説しており、決して古来からの言葉ではないそうな。


 意識して言葉を使うことにより思考も少しずつ影響を受けるものだけど、作者はそちらを問題視している。

 作者は翻訳者でありドイツにおける暮らしでも、イメージとして男女同権に思えてそうではないと断じ、旧約聖書の「アダムとイブ」を例に出している。

 ご存知の方も多いだろうけれど、女性のイブは男性アダムの肋骨から作られたとされており、さらには楽園追放の原因を作ったのがイブとされているのが、宗教観からして女性を貶めていると指摘する。

 実際、西欧において女性は男性にとっての所有物のようだった歴史があり、女性だけが未婚と既婚で呼び方が変わることに対して、現地の人も不満を持っているそうな。

 その人は日本における「〇〇さん」が羨ましいと語るけれど、一方で婚姻の際どちらかの姓に統一することが求められており、女性の側が変えて当たり前みたいな空気がある。

 別姓を認めないことに対して、これも作者は古来からのものではないと異論を述べており、私も「したい人はすればいい」と考えている。


 ここまでの文章には多くの漢字を使っているけれど、「嫌い」のような「女」の偏を使うものにはネガティブな意味を持つものが多いと作者は指摘する。

 つい先日、私自身も「嫌い」ではなく「きらい」などと書きたい旨を記事に記しており、同じように意識している人がいると知って嬉しかった。

 意外なところでは以前にレビューした宇佐美りん『かか』にて、主人公の一人称を「うーちゃん」にした理由について、著者のインタビューから引用していた。

 一人称についてはこれも最近の記事で書いており、「わたし」より他のしっくりくるものがないという話は、「女性は小さいときから『私』が使えていいよな」と語った私に深く刺さった。


 意識しない人にとって、言葉はただの道具でしかないのかもしれない。

 けれども人が意思を伝える言葉を使い、今現在までの社会を築いてきたのは間違いなく、例えるなら小さなボルトやナットのように社会の基礎となっている。

 そうしたものに綻びがないだろうかと調査して、必要があれば作り直しや組み直しをできるのが、知性ある人間と呼べるのではないだろうか。



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