子どもは親の「強くてニューゲーム」ではない【子育ての学び】
昨日の「君も博士になれる展」に行ってきた記事で、
番組に出ている「博士ちゃん」のように、息子が何か一つでものめり込めるものを見つけてくれたらいいなあ、と書きました。
この記事に、hairiさんから
とコメント頂きました。
これ!この「待つ」ということ、子育てでとても大事なことですよね。
子どもの人生は親のものではない、親の思う通りになんてならない。
でもけっこうすぐ親って子どもと自分を同一視したり無意識のうちに親の思うとおりにしようとしてしまうんですよね…。
それは子どもが大事だからこそ、というのがネックだったりします。
子どものためを思って。だって私がそうだったから。だって見てきたから。
でも、子どもの人生は子どもの人生。
でも、子どものためには何がいいの?どうしたらいいの?
ついこの前もそんな記事を上げましたが、私もそうやってめちゃくちゃ悩んでいる一人です。
話が変わりますが、最近「暗殺教室」という漫画を読み返していまして、
ちょうど主人公の渚くんのお母さんの話が出てきたところでした。
このお母さんが毒親で、自分の思う通りに息子を操作したい、自分ができなかったことを息子で叶えたい、という人物なんですね。
そんな母親を渚くんがゲームに例えて
「僕の人生の主人公は僕じゃない、僕はRPG『母さん』の2周目だ」
っていうんです。
RPGの2周目ってすごくわかりやすい例えだなと思いました。
1周目何が起きるかわからないからアイテムの取り逃がしやシナリオの進め逃しがあったりするが、2周目はどこに何があるか、何が起きるのか、コツがわかっているから、1周目よりいいEDに辿り着ける、
ということと重ねているんです。
親は自分の経験や他人を見てきているから、自分の子どもには同じ経験をさせまいとしたり、自分や誰かと同じようによりよい人生にしたいと思う…まさしく2周目!「強くてニューゲーム」ってやつです。
いただいたコメントと、この話がちょうどリンクしました。
子どもは自分ではないとわかっているつもりで、つい、自分が思った方向にいってほしいと思ってしまいがちだな、と。
子どもの人生は子どもの人生。
親の2周目ではない。
でもきっとまだまだ迷うんだろうな。。
居場所活動で子どもたちへ配る飲み物やおやつの材料を買わせていただきます!