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高校3年生の君へ:魚の子ォも、人間の子ォもいっしょ

何週間か前のこと。高校生を対象に、簡単なプレゼンというか、スピーチをした。大したことは言えなかったけれど、せっかくだからその時の話を簡単に記録しておこう。

母校の恩師に、高校3年生にこのタイミングで伝えられるメッセージがあれば話してほしいと頼まれた。既婚者じゃなかったら本気になってしまっていたんだろうな、というくらいには大好きな先生からのお願い。何より、わたしの人生のキラキラが詰まった高校への小さな小さな恩返しになる。引き受けない手はなかった。

お話のタイトルは、「なんでもない普通の大学生活」にした。わたしが高校3年生のころ聞きたかったのは、「大学に入ったもののあまり行かず世界一周しました」とか「優秀な仲間と出会い、起業に成功しました」みたいなすごい話じゃなかったと思う。もちろん、そんな未来も素敵かもしれないけれど。高校が大好きだったわたしは、あまりにも楽しい3年間を過ごしてきてしまったから、大学に入ってこれ以上のものなんか得られないんじゃないかと不安だった。きっと、あの頃のわたしが知りたかったのは、この先どんな未来が待っているんだろう、残り少ない高校生活の今をどう生きたらいいんだろうってことだったと思う。だから何か伝えられるとしたら、「高校時代と同じようなキラキラではないけれど、大学生活もちゃんとしっかり楽しいから、安心してね」って言いたい。そうしたら、少しはほっとできたと思うから。

で、具体的に何を話したのかと言えば、大学生を経験した人なら「あたりまえ」に感じる普通のことばかり。勉強が高校のころとは違った風に楽しいよとか(え、人によるって?笑)、お金と時間の自由度が広がるから、やりたいことは何でもできるよとか、これまで所属してきたコミュニティの外にも多様なベクトルに世界は広がっているのよとか(これについてはいつか別の記事で書きましょう、なんてね)、そんなありきたりなこと。でも、高校生のわたしには、その当たり前がよくわかっていなかった。だから不安だったし、怖かった。わたしにできることは、とにかく「大丈夫よ」って伝えることくらい。

それから、わたしの生き方の指針になっている言葉の一つを紹介した。個人的に、高校生の頃に出会いたかったなあと思ってる言葉。

「魚の子ォも、人間の子ォもいっしょや」

これは、灰谷健次郎さんの『天の瞳』という小説に出てくる台詞。初めて読んだときは、「は?」と思った。でも、続く台詞ですぐに意味が分かった。

「魚には旬というものがあるやろ。人間の子ォにも旬があるわな。子どものときは、子どものときしかできんことを、たっぷりやってきた奴が、味のある人間になれるっちゅうわけや」

だからわたしは就活前にインターンをしなかったし、大学生活を通して必要以上にアルバイトをしなかった。大人になればお金は今より効率よく稼げるから、今は学生時代という時間を大切にしたい。そう思っていた。それは、旬を生きた方が味のある人間になれるだろうという灰谷さんの言葉が、わたしに深く響いていたから。

持っている能力や技術とかが役立たないとは思わない。面接でも人間関係でもなんでも、必要とされる場面はたくさんある。でも、わたしは個人的に思うのです―――結局はみんな、魅力的な人間に惹かれるのだ、と。就活も恋も友人関係も。

魅力的な人間は、好きなことをして、のびのびと生きて、人として豊かになることで生まれるのだと思う。そして、それは灰谷さんの言葉で言えば、「旬」を大事にして「味のある人間」になるということなのではないかしら。

・・・

そんなわけで結論としては、「大学生活もなんだかんだ楽しいけど、その楽しみは今から焦ってすることでもないから、まずは今を目いっぱい楽しんでね」という、なんともありきたりなものとなってしまった。

でも、そのありきたりが、4年前のわたしはほしかった。現役生がどう思うのかはわからないけれど。

そんなお話。

。o O

おまけのこまけ

最新のわたしたちにとっての「旬」はいつだって「今」だから、もう学生時代なんて終わってしまった、遠い昔だぜ、なんて思わずに、その都度「旬」を生きて、一層味のある人間になりましょうね。なんてね!

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