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お別れできなかった日に思うこと

教会へ行けばよかった

今日は本当に散々で
体調が悪くて、椅子に座って黒板を眺めててもちっとも内容が頭に入らない
いつもに比べたら恐ろしく口数も少なくて
のろのろとしか歩けない
お腹もすかない
マスクに眼鏡にフード被って、不審者みたい

ただこの「体調不良でだるい」という感覚くらいでしか、自分が存在しているのかわからなくなりそうなくらい

―――今日はお別れの挨拶をしに行くべきだったのに

この気持ちがさらに身体をだるくさせたのかな

わたしの人生の中に、すごくすごく大きな影響を与えてくれた人が亡くなった
もう何年も会っていなかったけれど
わたしのことを覚えているかすらわからなかったけど
わたしの中では絶対にすごく大事な人で
神さまがいるなら、こんな人がいいなって

学校があるから行けないって思った
ちがうのに
今日こそサボっていい日なのに

最後に手紙を書こうって、それすらできなくて

ばかだなあ

この行き場のない気持ちをどうしてやろう

―――体調の悪さに紛れてなくなってしまえとは思わない

こんな日でも、相も変わらず世界は美しいと思った自分自身にイライラしつつ、一人大好きな井の頭線に揺られています

。o O

2013年9月9日の文章「きょうのはなし」が出てきたので、記録として載せました。

この亡くなった人は幼稚園の園長先生で、別の日のノートには彼女のことを、

「いつも見守ってくれていて、空みたいな存在だった。今思えば、わたしにとって先生が神さまだった。いつも笑っていて、わがままで泣いてばかりのわたしにも優しくて、神さまがいるとしたら、きっとそれはこういう人なんだろうな。そうであってほしいな」

そんな風に書き記している。

あの日、どうして「学校があるから」参列しなかったのか、今では思い出せない。

会いたくて、会いたくなかったのかもしれない。

生きている間に絶対にもう一度会うんだと決めていたのに、その時は永遠に訪れなくなったことを受け入れられなかったのかもしれない。

「いつか」なんて、来るかわからないものの代表例みたいなものだから、思いついたら惜しまずに行動したい。

会いたい人に会いに行って、やりたいことを全力でこなして、好きな人には何度でも伝えたい。

この日を思い出すたびに、胸の内で決意している。

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