地球っ子はロマンティスト?不法在留者?

すきな歌は死ぬほどあるけれど、小学生の頃特にすきだったのは、
学校で習った合唱曲の「この星に生まれて」
それから、当時大流行りしていた(わたしもファンだった)大塚愛の「ロケットスニーカー」

ロケットスニーカーは意外と知られていなかったりするけど、ポップな曲調(大塚愛の曲は大部分がポップだけれども)と、何より歌詞の発想がすき。

全文引用したいくらい歌詞がすきだけれど、特に

「地球からステップ踏んで軽くして浮いている。あぁ、地球っこ」
「地球にThank you! タッチして空に向かって飛んでゆく。あぁ、地球っこ」

サビの二つのフレーズがすき。
(地球にサンキュー!って言うなんて、素敵な発想だと思わない?)

どんな人生を歩んでいたって、一生知り合わない二人だって、すきなものに囲まれていたって、そうでなくたって、わたしたちはみんな「地球っ子」なんだなあと思う。

ところで、今日のお昼頃、パラパラと新聞をめくっていたら、

「在留特別許可6年で1/5」

そんな記事があった。1月27日の東京新聞の3面。

「在留特別許可は、不法在留など違法状態で暮らす外国人に、家族の状況や母国の安全性など事情を検討し、法相の裁量で在留資格を与え日本滞在を合法化する装置」

だそうだ。「日本人との結婚などを考慮」しているとか。

ふと疑問に思った。
どうしてある土地で生きるのに、誰かの許可がいるんだろう?

人には所有権があるから、他人の土地で勝手に家を建てたらいけないだとか、海外へ行くときはパスポートの確認をして渡航記録を残すことで、何かあったときに対応できるとか、色々理由はある。大事だと思う。わかる気がする。

でも、そういうものとは少し違う次元で、ものすごく不思議な気分になってしまった。
例えば、日本の領土とされる土地は、本当に「日本人」のものなのか?

そんなこと言ったら、みんな地球人なんだから、地球のどこで暮らしたっていいような気がするのは、わたしだけなのかしら?

地球上の、自分が生まれた場所から数百キロ離れた土地で暮らしたいと思ったとき、どうして「国」からの許可が必要なんだろう。
変なの、おかしいの。

「地球っ子」って考えれば、国ごとに争う必要なんてないのにね。みんな「この星に生まれて」生きているだけなのに。仲良くすればいいのに。
バカみたいね、おかしいの。

よく「ロマンティストね」と笑われるけど、理想的な世界を見ることを悪いとはちっとも思わないし、わたしはその世界をどこかで「ただの理想では終わらない。いつか現実にしなければいけないものだわ」と思っている。結構本気で。

日本人であるとか、女性であるとか、そういうアイデンティティは大事だけれど、そういったカテゴリーにとらわれて物事を判断してしまうのは、ちょっと世界を雑に見すぎている。物事はもっと深くて複雑で、簡単にカテゴライズできるものじゃない。わからないことだらけ。

だから、アイデンティティを持ちながら、そうはいってもわたしたちはみんな所詮「地球っ子」なんだなってこと、忘れなければいいのかな、と思う。
きっと、ほんの少し、知らない誰かにも優しくなれるわ。

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どうやらわたしは、いちいち「地球レベル」(もしくは宇宙単位?)で物事を考えているのかもしれない。典型的な地球っこかしら、なんてね。そんなのはきっと思い上がりだけれど。


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ラムネ

エッセイ

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