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食べると食事

夕方、マンションへ帰ると、あちこちから夕ご飯の香りがしてくる。

わたしはいつもそれを「幸せの匂い」と呼んでいる。

焼き魚、カレー、お味噌汁……あったかいごはんの匂いは、わたしを幸せな気分にさせる。
それは、ただ「美味しいごはん」の匂いだからではなくて、みんなもこうやって生活しているんだわ、生きているんだわと感じられるから。
だから夕方や夜中のスーパーでお惣菜を眺めている人は、寂しいけどなんとなく愛おしい。
「おつかれさま」
と、心の中でそっと声を掛ける。

。o O

時々、食べることがあまり好きじゃないという人がいる。
ある人曰く、「食べ物が嫌いなわけじゃないけど、あまりこだわりがないから、栄養だけ取れる方法があるなら食事はしなくてもいいかな」だそうな。
言いたいことはなんとなくわかる。
わたしは基本的に、眠るのが大好きな人間でありたいと願っているけれど、
本当にたまに、その瞬間にやりたいことが多すぎて、
「なるべく眠らないで生きていけたらどんなにいいだろう」
と思う。

つまり、睡眠時間をとるくらいなら遊びたい、勉強がしたい、という人がいるのと同じように、身体に食べ物を詰め込む時間を省略して別のことができるなら、ぜひともそうしたいという人もいるという、ただそれだけの話。

食べることが面倒なことって、よくある。
睡眠欲と食欲が戦って、食欲が負けることもよくある。

ただ、一つだけ。
わたしにとって、食べ物を摂取することと、食事をすることは、なんだか違う。

ただ栄養を摂るだけなら、正直(それで事足りると仮定するならば)サプリメントでもいいような気がする。今のわたしにはやりたいことが多すぎて、座ってもぐもぐしている時間に何かができるなら、それでもいいかもしれない。

でも、わたしは個人的に、「食事」を省くことができない。
食事は、目の前にある栄養満点の美味しい食べ物だけでは完結されない……と、勝手に思っている。

誰と食べるか、
どこで食べるか、
どんな話をするのか、しないのか、
光はどんな感じで
空気はどんな風で
そんな中で食べ物を口にした時、わたしはどう感じたのか、
美味しかったのか、まずかったのか、嬉しかったのか、悲しかったのか、

わたしにとって食事は、雰囲気丸ごと含めた時間だ。

だから、気の置けない人たちといれば、冬の寒い公園でコンビニ弁当を食べていたって、その食事は素敵なものになる。逆に、どんなに豪華な料理だって、毎日一人だったら寂しいかもしれない。馴染みのある居酒屋さんで、店主さんとお話をしながら飲めば水でだって楽しめるかもしれないし、一人きりのご飯だって、誰かが用意してくれた愛情を感じたら、その食事は有意義になるかもしれない。

それぞれの食事に対する感じ方は様々だし、一人だから寂しがらなきゃいけないとか、友達といるから楽しまなきゃいけないなんてことはないけれど。
わたしは自分が過ごす時間としての食事を大切にしたい。

そんな思いを胸に、昨晩食べすぎて何も口にしたくないお腹のわたしですが、大好きな親友が珍しく向こうから声をかけてくれたので、これから韓国料理屋さんで「食事」をしてきます^^えへへ。


P.S. 色々言ってるけど、結局わたしは、食べ物も料理も大好きです!(料理をするだけで、疲れた気持ちがしゃんとしてくるのはなぜなんでしょうね)


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