アナーキズムとボルシェヴィキの統一

共産党宣言読書会の感想を書きます。
宣言に繰り返しあった「党建設の大事さ」です。
結論だけいうと、ぼくはあまり近代風、中国・ソ連的な、党を作りたくないのです。
それらは、中期資本主義(帝国主義)時代に適応した、中期社会主義のものです。
ぼくには、アナーキズム的性格があります。
ここで、それを乗り越え、いわばボルシェヴィズムとアナーキズムの統一を試みたい。

アナーキズムの要点は、「社会性」重視です。
一方、ボルシェヴィズムは「政治性」重視やと思う。とりわけ、党とは、近代的な政治共同体です。ある意味で、共同体とは社会の中心に位置しつつ、社会を損なうものでしょう。
(話しは逸れるが、共同体とは、社会の全体ではなく、一部分である。国家を見よ。そして、社会は共同体にとどまらず、それを含みつつ周りに広がる)


旧来のアナーキズムは、「無政府主義」とも言われ、ボル的な政治性、とりわけ政府共同体に強く反対・排除していた。
しかし、排除は政治的ではないか?というのが、ぼくの最初の発想です。

ぼくはかつて、現代資本主義論で、いわば帝国主義とグローバル資本主義を統一しました。
いまは帝国主義は「乗り越えられ(否定されたのではない。いわば大肯定され、卒業した。卒業は、否定つまり退学ではない)」ました。
グローバル資本主義になった。
わたしはグロ一元論者です。
しかし!
その現代グローバル資本主義社会の部分、むしろ中心に、帝国主義はいまも位置しています。
帝国主義は、グローバル資本主義の最大問題なのです。辺野古を見ればよい!
これをぼくは、AさんやBさんたちから学びました。

このように、過去は乗り越えられ、現代の中心に位置する。
政治も乗り越えられ、全体としての社会の中心に位置する。

だから、アナはボルを認めるべきや。
全体としての社会の中心としての、政府や政治、党を認めるべき、と今では思います。

あとは、この社会と政治の二重性が、過度期的なものか、本質的なものか、です。

わたしの哲学の根本は、一元論的二重性(相対性)論でして、これはMさんには伝えてあります。
近代を越えた、後近代の根本理論です。

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