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小説:空き家【1667文字】

 あの空き家に入ると出て来られないらしい。
 そんな噂を聞いたのは、夏の終わりの頃だった。流行り病のせいで遠出もできず、花火大会も縮小され、恒例だった会社のBBQも中止になった。思い出らしい思い出のできなかった二十代最後の夏に、肝試しでもしようぜ、と言い出したのは誰だったか。何も発散できなかった夏への未練と、二十代最後という若さへの名残惜しさも相まって、仲の良い同期5人で、肝試しの計画はすぐに決まった。
 あの空き家の入ると出て来られないらしい。
 そんな噂を聞いたやつが、肝試しの場所はその空き家にしようと言い出した。
「出て来られないって、どういうこと?」
 女の子のひとりが言う。
「そのまんまの意味らしいよ。入った人が、出て来ないんだって」
「裏口があって、そこから出ていくんじゃないの?」
 誰かが少し冷めた口調で言う。
「そうかもしれないな。それならそれで、ネタになる」
 熱心にSNSをやっているやつは、ことの真相がわかったらそれを暴露してバズらせようという魂胆らしい。俺は、怪奇現象の類は信じていないし、興味本位で空き家に近づく俺たちみたいなやつらを遠ざけるために、持ち主が流したデマだろうと思っていた。
 肝試しの当日、夏の盛りは過ぎて、秋めいた涼しい夜だった。噂の空き家は、思っていたより新しく、きれいだった。ボロボロの、いかにも古めかしい家を想像していたため、少し拍子抜けする。
「これが例の空き家か?」
「そうらしい。一見すると、普通の民家だな」
 5人でひとかたまりになって玄関に近づく。ドアノブをひねると、鍵はかかっていなかった。
「おじゃましまーす」
 小声で言いながら玄関に入る。人が住んでいないからか、さすがに埃がたまって室内は汚い印象だった。スマートフォンの灯りで照らしながら靴のまま室内へ入る。無人の民家、というだけで、特に怖いものは何もなかった。
「なんか、普通の家だな」
「そうだな」
 階段をのぼって二階へ上がる。雨戸の閉まったままの部屋は少し不気味な気がしたが、恐ろしいことは何も起きずに、一通り部屋を見て回り、室内探検は終わった。
「さあ、ここからが本番だな」
「そうね。本当に出られないのかしら」
「でも、室内には誰かがいた痕跡がなかっただろ? ってことは、ここに入ったやつはみんな出ていったのさ」
 俺は言った。誰もここから出られないのなら、今まで入った人間は全員この家の中にいないとおかしい。でも、誰もいなかった。それなら答えは簡単だ。みんなここから出て行ったのだ。
「それもそうね」
「いくよ?」
 先頭にいたやつが玄関のドアノブをつかむ。ゆっくりひねると、あっけなくドアは開いた。
「なんだ、開くじゃん」
「普通に出られる」
「ちょっとドキドキして損した」
 そりゃそうだ、と思った。本当に出られない家なんて、あるわけがない。俺たちは笑いながら、それでも少しほっとしながら、空き家をあとにした。衝撃的な恐怖はなかったけれど、十分に非現実的な空気は味わった気がした。
 5人で帰り道をのんびり歩く。来年の夏はBBQできるといいね。旅行も行きたいな。忘年会までには感染状況もおさまるといいけど。他愛ない会話をしながら歩いていたが、俺は妙なことに気が付いた。
「なあ、さっきから誰ともすれ違わないな」
「え?」
「ああ、そういえばそうね」
「この道、普段こんなに空いてるか?」
 大きな幹線道路に出たのに、車が一台も走っていなかった。
「本当だ。どういうことかな」
 俺は嫌な予感がしていた。信じられないが、まさか。そこへ、前から人が歩いてきた。
「なんだ、人いるじゃん。お前、不気味なこと言うなよ」
「冷静そうにして、一番ビビッてたりして」
 俺は笑われたが、まだ不安は消えていなかった。前から歩いてくる人が俺たちに気付いて駆け寄ってくる。
「やっと人に会えた。あなたたち、どこから来たの!」
 やけに怯えた顔をしている。もしかして、やはり……
「あなたは、あの空き家に入った人ですか?」
 俺の恐ろしい予感は当たってしまった。相手が、黙って静かにうなずいたのだった。


【おわり】

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