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雑記:小説講座と小説写経

アマチュア物書きは孤独だ。

何を書いても、それであっているのか、おもしろいのか、突破口はどこにあるのか、誰も教えてくれない。書きながら「いったいどこがおもしろいんだよ!」と頭を抱えることがよくある。同時に「これはおもしろいものが書けそうだ!」とやたら高揚していることもある。しかし、それを共有する相手はいない。自分で書きながら、自分で向き合うしかない。孤独な作業だな、と思う。

noteのように、発表する場があるのはありがたいことだ。そこで誰かに読んでもらうことで、作品を作品として成り立たせることができる。自分だけのものではなく、読んでもらうことで初めて、共有できる。

でも、書いているときは誰とも共有ができない。デビューして、編集者さんがついているプロの作家さんなら、この作業は編集者さんも交えてできるのだろう(知らないけど、たぶん)。
それ、おもしろそうですね。
どこまで進みました?
いいですね、その調子で。
そんな声かけをしてくれるものじゃないのかな?(勝手な想像?)

そんな編集者さんもおらず、仕事でもない趣味の物書きは、孤独だ。そもそも自分の書き方があっているのか、わからない。でも、そもそもおもしろい小説の正解なんてないのだから、孤独な作業の中で自分の「おもしろい」を探すしかない。

小説を公募やコンテストに出し始めて、ちょうど一年くらい経つ。ぽつぽつと一次選考通過や「印象に残った作品」として選んでいただき、講評もいただき、自分の書くものがあながち、くっそつまんねぇものではないらしい、ということはわかってきた気がする。だから、このまま精進すればいいのだろうけれど、なにせ孤独である。やはり、ステップアップするための足がかりを探したくなるものだ。

最近、フォロワーさんの中で、小説講座を受け始めた、と話している方がいらした。けっこうダメ出しされるらしい。小説講座は、どんな出来でもわりと褒めてくれる、と聞いたことがあったので、しっかりダメ出ししてアドバイスしてくれる先生もいるのだな、と発見である。別のフォロワーさんの記事では、別の先生には酷評された作品が今の先生にはとても評価された、といったことが書いてあった。そういうものなのか、と思う。私は、講座というものを全く受けたことがないので、その実体はわからない。

文章の勉強なんて、全くしたことがない。国語の勉強は高校までだ。そのあとは看護の短大だったから、国語の授業はない。文系の大学に進めば少しは触れる機会もあったかもしれないが、看護で文章は教えてもらえない。だから、私の文章は、高校までの国語と、読んできた本から吸収したものだけで成り立っているのだ。

それで、小説講座なども考えてみたのだけれど、最近「おもしろくないとは?」と考えたときに思ったのだけれど、私にとっておもしろくないものが誰にでもおもしろくないわけではない、ということだ。つまり、私のおもしろいと、講座の先生のおもしろいが違ったら、私はいつまで経ってもおもしろい小説は書けない。
だから、昔は弟子の制度があったのだと思う。今でも漫画家さんとかはそうなのかな。やっぱり、好きな作家さんのもとで勉強できたら、それが一番良いのだと思う。

講座ともうひとつ、最近気になっていたものが、小説写経である。知ってはいたが、やったことはなかった。やっても何の意味もないよ、という人もいるようだけれど、何の意味もないことなんてないと思う。プラスかマイナスかは別にして、何かしらの影響は絶対に出る。一番のデメリットは、自分の文体が崩れることらしいのだけれど、そもそも崩壊なくしては構築もないのではないか? 「おもしろい」の価値観が違う先生に習うより、自分好みの作家さんの小説から学んだほうが私には合っているかもしれない。そんなことを考える。

小説講座を否定しているわけではない。私には、合わないのではないか? と思うだけ、という話。もしかしたら来年あたりは、やっぱり誰かに習わなきゃダメだわ、ってなって、慌てて講座を受けているかもしれない。それならそれで、思う存分受けよう。

そんなわけで、今日から小説写経を始めてみた。一日2000文字を目安に、ぼちぼちやってみようと思う。

文庫本を開き、パソコンに向かいながら、結局孤独な作業に変わりないな、と思った。少しは文章の上達につながりますように、と願いながら。



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