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雑記:何を誰のために書くのか。

昨夜ね、フォロワーさんのコメント欄で、褒めていただいたんですよ。私が。私の小説が。書き手としての私が。

それはすごく嬉しくて、まぁそのコメントはスクショしたし(きもい)浮かれますよね、そりゃ♡笑

その褒めてくださった方のことを、私はいつも「おもしろい小説を書くなあ」と思っていたので、余計に嬉しく思ったわけですよ。

おもしろい小説というのはもちろんなんですけど、その方はね、誰かに何かを与えられる小説を書きたいと仰るんです。

すごいですよね。
私にはできない。

できないし、私の目的はそこにはない気がします。

だって、私が他人様に何か与えられる……他人様の役に立てるとしたら、看護師免許を最大限に活用して仕事復帰するのが一番ですからね笑。

私は、小説を書くとき、誰のことも思っていないんです。誰かのために書いたことは一度もないんです。

もちろん、フォロワーさんに読んでもらって楽しんでもらえたらいいなーとは思いますよ。でも、誰かを感動させたり、心を震わせたり、そういう目的を持って書いていないんです。ただ、自分のために書く。自分と登場人物のために書く。それだけなんですよね。

登場人物がね、書けってうるさいんですよね笑。こうしたほうが読者は感動するよ?とか言っても、聞いてくれないんですよね笑。「俺はこう思ってるのに」とか「私はそんなこと言いたくない」とか、みんな勝手です笑。作者に似るのでしょうか笑。

あと、小説にメッセージをこめることを、私はしないんです。これをうまく伝えられる言葉がなかったんですけど、最近こんな言葉に出会いました。

劇作家の岸田國士さんの言葉です。

「或ること」を言ふために芝居を書くのではない。芝居を書くために「何か知ら」を云ふのだ。

私は芝居には無知ですし、岸田國士さんの書いたものも未読です。ただ、この言葉がとても納得がいったのです。

もちろん、伝えたいこと、訴えたいことの表現方法、手段の一つとして小説が存在するパターンもあると思いますし、何が正解か、というものでもないも思います。

ただ私は、何かを伝えたいから小説を書くのではなく、小説を書くからそこに言葉が存在する、というタイプなのかもしれないなあ、と思ったわけです。

「この岸田國士さんの言葉はそんな意味じゃない!」と、芝居好きの方や岸田國士さんのファンの方に怒られてしまうかもしれませんが、あくまで私の個人的な見解ですので、ご了承ください。

それじゃ、私の小説は誰に読んでもらいたいのか?

それは、やっぱり、小説を読むことが好きな人に読んでもらえるのが、一番嬉しいですね♡

私はプロの作家さんという職業にものすごく憧れがあるので……自分がなりたい、という話ではなく、尊敬して愛しているという意味で♡

どこで誰に読まれたいか?と聞かれたら、プロの作家さんの書いた小説を愛してる人たちにおもしろいと思っていただけるのが一番嬉しい、というところですかね。


同じ小説書きでも、いろんなタイプの人がいるものだなー、おもしろいなーと思った朝でした。

ちょっと考えたらことをつらつらと。最後までお読みいただきありがとうございます(∩'-'⊂)びーむ

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