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13年越しの『上と外』

初めて恩田陸の『上と外』を読んだのは中学生の時。
もともと親の影響で本はたくさん読んできたけれど、それまでは夢水清志郎シリーズ、パスワードシリーズ、黒魔女さんシリーズなど圧倒的に青い鳥文庫が多く、当時流行していた携帯小説も読んでいた。文字が大きくて、すぐ読めて、楽しい物語が好きだった。
そんな中、同級生から「これおもしろかったよ」と教えてもらったのが「上と外」の文庫。
カバーは森の写真だし、内容がぱっと分からない堅そうなタイトルだし、当時の私は手に取らないような雰囲気の本だった。でも友達が勧めてくれているからちょっと読んでみようかなとページを開き、あっという間に引き込まれた。
寝るのも惜しんで上巻を読み切った。
下巻も貸してくれるとのことだったけれど、私も手元に置いておきたいと思ったので、親に本屋に連れて行ってもらったときに探して買った。地元の大きい本屋は文庫コーナーが広い。当時は出版社ごとに並んでいることを知らず、「恩田陸」「上と外」という情報だけを頼りに文庫棚を端から順に探した記憶がある。棚を何周かして見つけ出した時の喜びたるや。「お」から始まる人で良かった。

『上と外』のあらすじは文庫本の背表紙から引用する。

[上巻]
両親の離婚で、別れて暮らす元家族が年一度、集う夏休み。中学生の練は妹・千華子、母とともに、考古学者の父がいる中米のG国までやってきた。密林と遺跡と軍事政権の国。すぐさま四人はクーデターに巻き込まれ、避難中のヘリから兄妹が落下、親子は離ればなれに!?疲労困憊でさまよう二人の身に、異変が…。息もつかせぬ面白さの新装版上巻。

[下巻]
千華子を人質にとられ練は、ニコと名乗る少年から危険なマヤの儀式への参加を強制された。それは生死をかけて争う苛酷なレース。刻一刻と過ぎる時間。制限時間まで残りわずか―。しかし、そのとき国全体をさらに揺るがすとんでもないことが起こった。神は二人を見捨てるのか。兄妹は再会できるのか。そして家族は? 緊迫と感動の新装版下巻。

まず主人公が中学生で年齢が近いこと。そしてやや複雑な家庭で育っていること。
不謹慎かもしれないけれど、小中学生の時は「複雑な家庭で育つ」ということが少しかっこいいと思ったり、一目おいたりするような風潮があった。当事者には残酷な風潮だ。
私自身、両親の喧嘩や普通ではない家庭内環境(これを自覚したのは20歳前後なのでまた別の機会に)で育ち、離婚とまではならないものの家の中では不穏な空気が漂うことが多かった。親の機嫌を伺いながらゲームも携帯も自由に扱えない家の中で、唯一夜更かししても怒られないもの。

もう何度も読み返しているけれど、中高生の時はとにかくレンに感情移入しながら読んだ。両親が離婚し、両親と離れ祖父のところで生活をするとはどういうことなんだろう。私だったらおばあちゃんがうるさそう。年上のいとこもいるけれど、きっとそこまで仲良くなれない。年に一度しか会えない家族ってなんだろう。父親は単身赴任だけどけっこう頻繁に帰ってくるな、顔を合わせると母と喧嘩ばかりだけど。海外旅行いいな。知らない言葉の国ってなんなんだろう。でもそんなところで喧嘩されたくない。だって逃げ場がないもの。レンやチカみたいにやや突き放した感じで観察できないな。ギスギスしていても旅行の行程は崩れないのすごいな。私のお父さんだったら全キャンセルの勢いだ。海外旅行だからキャンセルしづらいのか。
……冒頭からこんな具合だ。もちろん初見の時はそんなことを考える間もなく読み進めていったけれど、読み返すたびにどんどん感情がついてくる。不思議な読書体験だった。

とにかくレンとチカの現実離れした機転の良さと柔軟さ、身体能力には何度読んでも驚いている。
もちろん年相応の反応をすることもあるし、ちがう、そうじゃないよ! と言いたくなるシーンもあるけれど、平均して能力が高い。私だったら絶対に生き延びれない。
著者が文庫版あとがきで、この二人には過酷な冒険をさせたと言っていた。普通ならヘリから落ちた時点で絶望が襲ってくるけれど、それを知識や応用力でどうにか乗り越えていく。すごい。
そしてニコという少年も魅力的で、すぐに魅了された。ジャングルに現れたミステリアスな少年で、レンと同い年なのに、さらに現実離れした才能を持つ人だ。一人称がレンだから彼に感情移入することはほとんどなかったけれど、突然現れた異端分子であるレンとチカに物おじせずに対応する力、並外れた身体能力。いったいあなたは何者なの?

ドキドキはらはらしながら読み切ったあとの満足感と、しばらく現実に戻れないような頭がふわふわした感じが続く。児童書から一歩踏み出して、難しい本を読み終えた達成感と、新しい扉を開いた高揚感につつまれていた。

読み終えた後は妄想することが増えた。もし私がこんな状況になったら。よくわからない場所に放り出されたら。運良く道具があったら。ひとりだったら。姉と一緒だったら。サバイバルの知識をつけた方がいいのかも。颯爽とニコが現れて欲しい。

あまりにも衝撃を受けてから、私はこの本がバイブルになった。数少ない、何度も読み返している本だ。
わくわくしたい時、少し落ち込んでいる時、初心に戻りたい時。気がつくとこの本を手に取っている。最初から読むわけではなく、パラパラとめくって気になった場面から読むこともある。文字の羅列だけ追って、内容を考えないことも。
この本を読むことが祈りみたいになっていることがあって、レンのように臨機応変に、軽やかに、難しいことも軽やかに超えていけるような妄想をたくさんする。
すっかりレンより大人になってしまったけれど、レンが「おじいちゃんだったら」と考えるように、私はレンやニコのことを考えている。

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そうしているうちに、本に関わる仕事がしたいと考えるようになった。最初は健気に作家にならねばならないと思っていたけれど、作文が壊滅的に苦手だった私は早々に方向転換をし、編集業という仕事があることを知った。
しかしそれも膨大な知識や学力が必要だ。そもそも編集ってなにをするの?なんか違う気がする、もっとこう、作る側でなくて楽しむ側、それもたくさんの作品と出会える立場がいいなと傲慢にも漠然と考えていた時に、たまたまテレビで本のデザインという仕事があることを知り、すんなり「あ、私はこれがしたいんだな」と腑に落ちた。
この時すでに「元からあるもの(物語)をより魅力的に伝えるものを作りたい」と、言葉にはできなくても意識していた。そこから美術とブックデザインの世界に向かっていき、デザインはデザインでそれなりに知識や経験がいると知ったのは美術が学べる大学に入ってからだ。

大学、大学院と紙と文字と本の沼にどっぷりつかり、満を持してデザイン事務所に入ったらそこはパワハラとモラハラの温床だった。転職活動中に拾ってもらった今勤めているデザイン事務所は書籍がメインで、なんと『上と外』のデザインを手がけた事務所だった(それに気づくのは入社してしばらくしてから)。
入社当初から恩田陸が大好きと言っていたら、ひょんな流れで恩田さんの新刊の担当をすることになった。社長と恩田さんの付き合いが長いからこそできることかもしれないが、棚からぼたもち、思わぬ役得でご本人にお会いすることができた。小さい頃から読んでいますと伝えることもでき、本当に夢のようだった。
そんな折、ご本人からサインをいただく機会があった。私は迷わず『上と外』を持参した。
中学生の時に買ってから何度も読み返したぼろぼろの文庫本。私が本の世界に飛び込むきっかけになった物語。「年季入ってるね〜」とおっしゃいながら13年越しに入れていただいたサイン。間違いなく私にとって家宝となった。当時の私がこのことを知ったらどう思うだろう。

すっかりお姉さんになってしまったけれど、まだ賢や千鶴子の大人の方にはなれそうにない。今もレンとチカ、ニコの事を考えながら生活している。私の生きたいように生きるために。これからも祈りながら本のページをめくる。
私の人生のターニングポイントとなった『上と外』を紹介してくれた同級生は彼女の引っ越しで連絡が途絶えてしまったけれど、今もどこかで元気にしていたらいいな、と思う。

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