タイプ3の囚われに関して思ったこと

久しぶりにエニアグラムの話。

タイプ3は「完了=格好良い」の価値観を持っている人。
常に完了させたい、常に完成形でいたい……そんな人達。いつでも「ゴールした直後」の姿でありたい人達。


「完成された自分自身」で人との関わりを挑み、その形を崩されることを嫌がる。あらかじめ「こういう自分である」というゴールを定める。そして一度定めたポジションから外れないように、一貫した人柄であろうとする。そのポジションにおける役割を何が何でも果たそうとする。そうならない「自分自身らしい側面=粗」が出てしまえば、それはタイプ3にとって「恥」として映る。
特定のポジションであると一度決めたら、タイプ3はそのキャラの枠内での言動に“とらわれる”。タイプ3の脳内は「そのキャラがやりそうな仕草や言いそうなフレーズ」に占められて、他の要素(目標の姿ではない、現時点での自分自身)に関しては盲目的になってしまう。
この「現時点での自分自身の姿を無視して、そうなろうと目指している像を自分自身だと錯覚してしまうこと」がタイプ3の“虚飾”の囚われ。

癖としては、すぐ完了の方向に持って行く傾向がある。
言葉でも言い切りが多い。自分がズバッと言うことでその場のゴタゴタを片付けたいという衝動がある。自分の言動に関してモヤッとされたら“自分のイメージを崩された=格好悪い、恥ずかしい”と感じるのがタイプ3だ。
スッと現れてサラッと片付ける人に対しての憧れがありそう。

問題としては、タイプ3が自身の「格好良さ」の演出に囚われるほどタイプ3が求めている「格好良い問題解決」からは程遠くなるということが挙げられる。
問題を解決するということはタイプ3にとっては“早ければ早いほど格好良い”のかもしれないが、相手にとっては“じっくり話を聞いて問題の詳細に向き合う人の方が格好良い”という場合もある。その自己イメージは自分だけがしている勘違いという場合もあるから、それを犠牲にした方がかえってうまく行くという事も十分にある。
しかし「そんなはずはない!」と思い込んでしまうのがエニアグラムの囚われの恐ろしい所でもある。


……みたいな事を考えていた。

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