ダメな自分で今日も歌を聴く

私は自分のことをダメだと思ってる。
優しくないし、仕事も出来ないと思ってるし、小心者だし、計画性もないし、
自分のダメだと思うところをたくさん挙げられる。

こればっかりは、「そんなことないよ」と言ってもらったところで変わらない。

そんな自分を受け入れていないかと言われると、そうでもないんだけど…
ダメな自分を受け入れているというよりは、自分がダメだという事実を受け入れているというか。
許容しているわけではないが、認識はしているというか。

最近BUMPのことばかり書いていることについて、読まれてるかどうかもわからないのにこれを読んでくださるあなたになんとなく申し訳ないと思ってしまうのも、ダメなところかもしれない。(自意識過剰なところもダメかも)

でも、どうしても書きたいのでBUMPの歌のことを書く。
感情の赴くままに書いてるから、わけわからないけど、書く。

BUMPは、というか歌詞を書いてる藤くんは、今この瞬間に曲を聴いてる誰かが自分をダメだと思ってることを知っている。
そして、その誰かが、歌を聴いてる今も、自分をダメだと思ったまま現実を生きてかなきゃならないことを知っている。
その上で、ダメな自分のままでいいから生きていて欲しいと囁く。
なんて厳しいんだ。
ライブに行くと、CHAMAが「辛い気持ちの人も、悲しい気持ちの人も、そのまんまの気持ちでいいから、一緒に思い切り踊ろうぜ!!」って言ってくる。

でも、それでいい。
現実はおとぎ話じゃないし、私たちは明日も明後日も、普通に生きていかなきゃいけない仕組みになってる。
多分、藤くんはその事実を誰より深刻に受け止めてて、受け入れられなくても認識しているんだろう。
そんな現実を生きる一人一人に向けて詩を書いて、歌っている。

こんなに優しく寄り添う存在があるだろうかと思う。

私は最近BUMPのリスナーになったので昔のBUMPは知らないけど、BUMPの曲の、藤くんの書く歌詞のこのスタンスが、どうやって作り上げられてきたのか何となく想像がつく。
楽しくとも、つらかったり、苦しかったりしただろう。
不安もたくさんあっただろう。
それをメンバーたちが乗り越えられたのかどうかはわからないけど、それでも今彼らがステージに立っているから、立とうとしてきたから、あの曲もこの曲も生まれてきたんだろうな。

それで冒頭の話に戻るわけだけれど、ダメな私をダメなままで生かそうとしてくるのがBUMPの曲だ。
デフォルトでしょんぼりなことを受け止めた上で、
そうだな、お前はしょんぼりな奴だよな、って言ってくれる。
でも生きていてほしいし、話したいし、笑っていて欲しいよって言ってくれる。
だから、俺らの曲がお前に会いに来たよって言ってくれる。

人が弱いことを受け止めてないと書けないと思うんだ。
弱い自分に向き合って生きてきた人じゃないと書けないと思うんだ。
そんな彼らが、私たちに歌を届けることを喜びだと思っていてくれるなら、全力で受け止めようと思う。
だから生きていける気さえする。

もしBUMP OF CHICKENに会うことができたら、今ここに生きていてくれてありがとう、っていう言葉を伝えたい。
でもさ、お互いに無理の効かない年齢になりつつあるから、健康にはほんとに気をつけましょうね。
また会いに行くよ。それまで生きるよ。
みんなそう思ってるよ。

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