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一流の人に接することの大切さ

20代をどう生きたかで人生が決まる。

20代の頃に読んだ本の一節

50代の今、思う。20代、自らが行動することで、あらゆることをスポンジのように吸収し、良き出会いを引き寄せ、その後の人生、生き方が決まるのだと。

私は20代の頃、経済にとても興味があった。ある方が主宰なさっている経済界の方々が集う会に参加していた。1990年代。インターネット時代の到来のおかげで、遠く離れている方々とも交流が持てた。その会で出会ったスイスバーゼルの銀行の日本人の方と特に仲良くさせてもらっていた。ビジネスについて、さらには生き方について、いろいろ教えていただき、大変勉強になった。その方は、後に退職、帰国なさって、投資家とベンチャー企業の橋渡し役をすることを目的とした企業を設立なさった。夢を実現なさったのだ。

また、主宰の方が親しくなさっていたソニーの盛田昭夫会長についての文章を読むことが楽しみだった。盛田会長の桁外れの想像力・創造力。あくなく探究心。実行力。人とはまったく違う発想力に驚くことばかりだった。20代の頃に一流の方の考え方に触れたことは、その後の私の財産になっている。

ここで私が盛田会長語録を語らなくとも、本屋さんへ行けば本が沢山並んでいると思うので割愛させていただく。

私は当時、一企業の地方の支店で働いていたが、会社の方々が飲み会で話すような内容にはまったく興味がなく、それより世界中を飛び回って仕事をなさっている、別の分野の方々と話すことを重要視していた。それを糧として働いていた。コピーひとつからも今、会社がどのような事に力を入れているのかが分かる、など、学ぼうと思えば、会社にいながらにしても、いくらでも学べることがある、など、とても勉強になった。

1998年。東京転勤になったおかげでより学ぶ機会が増えた。相変わらず、一緒に働く社員の方で経済界のことを話せる人はいなかった。しかし、私は様々な企業のトップの方に応対するという仕事を会社から命じられたのだ。直にトップの方たちと接する機会が与えられたことは、この上ない喜びだった。大概トップの方は謙虚で思慮深いのだと実感した。

20代で会社員を卒業し、30代はフリーで働くのが夢だった。私はその夢を叶えた。IT関連の仕事をフリーで始めたのだ。20代で築いてきた人脈のおかげで、さまざまな仕事をさせていただいた。また、ベンチャー企業のトップの方々とも交流を持ち、夢を語り合いながら、仕事をする。充実した日々を送っていた。

今、私は主婦である。
東京から故郷に帰省する際の飛行機の中で偶然隣り同士になった紳士の方が、私に話しかけてくださった。その方の半生を私はじっくり聞いていた。なぜか私は誰からともなく、上辺だけではない心からの話をされることが多いのだ。見知らぬ人とて、とても勉強になる。飛行機が着陸して、名刺をいただいた。「何かあったら、いつでも連絡してください」とある企業の常務の方だった。

今は20代の頃のような夢と可能性を持ってビジネスに邁進していた頃とは違う、別の価値観で生きている。

ただの主婦でもあの頃学んだことが役立つことは沢山ある。スーパーのレジの方、近くの郵便局の皆さんなど「いつもお世話になります」「ありがとうございます」元気よく声がけしている。些細なことだけれど、いつも謙虚で感謝の気持ちを持って接することのできるような人間でありたい。

20代の頃、必死で勉強し、自らが考えて行動していた、あの時代があるからこそ、今の私がある。

20代をどう生きたかで人生が決まる。
本の一節が人生を変えることもある。あの言葉に出会っていなければ、私の人生は違ったものになっていたのだろう。

#大切にしている教え

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