なぜ私はこんなに落ちぶれたのか

今、私は平日に会社を休んで記事を書いている。


何回目だろうか。

精神的な問題で会社を休んだのは。


前回の記事で、「変われた」と言ったが、

気のせいだったのだろうか・・・


今回は、

私がこんなにも毎日苦しい日常を送らなければならなくなった原因を

探して行きたいと思う。



2018年4月。

やりたいことも見つからず、業界も絞らずにガムシャラに就活をして、

たまたま受かったIT会社に入社した。


入社前の内定式では、

同期となる周りの人たちがみんな出来る人に見えて、

入社までずっと上手く出来るかな・・・と不安に駆られていたを覚えている。


しかし、入社して半年はずっと同期と研修で、

毎日が楽しかった。

この会社に入ってよかった!と思った。


同じ会社の同期に恋もして、それが1番楽しかった理由かな(笑)


少しだけ、この仕事に苦手意識を持ち始めたのは、

同期との研修の成果の見せ場となる、プログラミング研修発表会。


その発表会に向けて、4人1組で課題に沿ったアプリを作成するというものだった。

私の班には男性2人と女性2人(私含む)。


最初は色々意見も出し合い、和気あいあいとやっていたつもりがったが、

機能が難しくなるにつれ、だんだん私が足を引っ張っているように感じた。

1人プログラミングの知識もある程度ついていて頭の回転も早い男性(Aくん)がいて、

その人に「なんでそんなこともできないの?」と言われる日々。

だけどそれは同じ班の違う人も言われていて、私はそんなに気にはしていないつもりだった。


しかし、開発が進むにつれて、だんだん技術の差も浮き彫りとなり、

もう1人の男性(Bくん)は班をまとめて指揮るのが上手。

女性(Cさん)はCSSと呼ばれるデザイン作成が上手。

そしてAくんはプログラミング知識が豊富で頭の回転が早い。


・・・私は????????


何も得意分野がなくて、悔しくてみんなの前で泣いた。

だけど、同期のみんなが優しくて、同期のみんなといるのが楽しくて、

なんとか乗り越えた。


後の話で聞くと、

研修担当の講師の人は私のことをべた褒めしていたそう。

「努力ができる人。これから伸びて行くと思う。」と。


それを聞いたのはだいぶ後のことだったが、とても、とても嬉しかった。

そのおかげで少し仕事へのモチベーションも上がり、頑張ろう!と思えた。


そして、部署配属。

あるシステム部門の部署に配属された。

その部署には、課長含め男性4人が配属されている部署。

1番歳が近い人でも当時社会人5年目で、

本部内でも1番多忙だと言われていた部署だった。


さらに、本来はいるはずの専属の先輩(いわゆるOJT)。

私の部署はみんな忙しすぎて、私のOJTはただの名目。

いないも同然で、課長から課題をいただいてこなす日々だった。


それでも当時は日々新しい知識を覚えるのに必死で、

自分で参考書を買って家でも勉強したし、

会社でも、忙しい先輩たちの合間をぬって頑張って質問もした。

忙しい中でも、先輩方は丁寧に教えてくれた。


人には恵まれた職場だと思う。

(今思えば、私はそういう先輩になれなくて申し訳ないな。)


人もいいし、有給も取りやすくて、福利厚生もいいほうだから、

OJTがいない環境でもそんなに苦にならずに過ごせた。

頑張って、早く一人前になろう。と期待に応えるため頑張った。


そして、次々と業務が始まる同期。

私はずっと研修。

自分に能力がないからかな・・・と、

家でも仕事内容を振り返ったり、毎日課長のところに報告に行ったり、

必死に働いた。


だけど後に課長に聞いたら、

忙しすぎて指導できる人がおらず、業務を渡せる状況を作れなかったらしい。

自分の能力に自信がなく気にしてしまう性格が故疲れてしまったのも、後々仕事が大嫌いになってしまう原因の一つかもしれない。


そして、ついに初業務!

アプリのパッケージをアップデートされたバージョンに修正するものだった。


そして渡されたスケジュール。

そこには、1日10時間計算で振られたスケジュールが。

1日の通常の勤務時間は8時間。

初めから毎日2時間残業をする前提のスケジュール。

しかも初業務の新人に。

普通はむしろ、新人でましてや初業務なので初めはゆとりを持ってスケジュールを立てるであろう。


しかし、当時の私は「わかりました!頑張ります!!!」

・・・期待に応えようと必死でその違和感に全く気づくことができなかった。


そして業務開始。

10月から私の部署にも人が増え、一緒に業務をしていたのだが、

1番難しいと言われている機能が私の担当になった。

入社して1年未満、初業務の私が。2年目、5年目の人とかもいるのに。


その時は流石に違和感を覚えた。

実際本当に難しくて、1機能作るのに2ヶ月ほどかかった。

それを、似ている機能もあったので他の先輩は私が作ったものをコピペするだけ。


ここで初めて「不満」が生まれた。

残業も毎日のように21時超え。

11月に付き合い始めた今の彼氏(同期)の家に泣きながら泊めてもらったこともたくさんあり、

いつしか、毎日夜遅く帰るので、車で片道30分ほどかかる実家に帰らず

会社からすぐ近くの彼氏の家に1年ほど居候する生活になっていた。


元々家族が大好きで、友達と遊ぶにも家族との時間は大切にしたかった自分が、

全く家に帰らず、

しかも、彼氏ができたことも言えず、

ずっと「女の先輩の家に泊めてもらっている」と嘘をついていた。


それがすごく心苦しく、だけど言えない。

そんな日々が続いた。


元々仕事にやりがいはあまり求めておらず、

プライベートを最優先にしたい私にとって、

少しずつ苦しく思えてきた日々だった。


そんな中でも無事に初業務は終わり、

バグもそんなに目立ったほどは出ていなかった。


やっと解放された!!と思ったら、

また次の業務が始まった。


そしてまた残業。

それが終わったと思ったらまた次の業務。そして残業。


そういう日々が続き、私が毎日あまりにも遅く帰宅するので、

彼氏が毎日「本当に残る必要があるのか」を聞いてくるようになった。


私の彼氏は自分の考えをしっかりと持ってそれをハッキリと言える人で、

私とは正反対と言える人だった。


だからこそ、私を守ってくれようとしたのだと思う。


だけど当時の私にとっては、

「残業しないと到底追いつけないスケジュール」

「無駄な残業はするなという彼氏」


2つに板挟みにされ、仕事もうまくいかず、彼氏ともうまくいかず、

今思えば1番辛くて、苦しい日々だったのかなと思う。

その結果会社で号泣してしまい、1週間の休職となった。


だけど、今となるとこれは誰のせいでもなく、

ちゃんと理由を言って「スケジュールを伸ばしてください」というのが最善だったのかなと思う。

だけど、私の性格からネガティブな「お願い」をするのがすごく苦手で、

毎回すごく精神的に疲れてしまうので、今でもそれは大変だ。

今考えても、どうすることにもできなかったのかな。


そして休職から復帰し、

無理をしすぎないように、頭が回らないなら翌日に回すことや、

スケジュール調整をお願いするようになって、

徐々に残業を減らすことができた。


気づけば平均1桁。万歳!!!


なので一時期は、仕事も苦でなく、楽しく過ごせた。


だけどいつからだろう。

少しの残業でも焦ってしまったり、

要求される仕事のレベルが上がっているのに私は特に成長が感じられずに周りからの期待外れ感を感じたり、

「自分がここにい続ける意味があるのか」

と思うようになってきた。


そう思い始めてしまうとなかなか平常心に戻れないのが私の性格で、

今にもずっと続いている。


いつしかのブログにも書いたが、

「辞めたい」から「辞めるべき」に意識が変わっていった。


そのため今の仕事を続けながら、

転職先を探したり、ハンドメイド販売をしたり、

仕事を辞めるための準備を始めた。


しかしそうなると、「早く家に帰ってハンドメイドやらなきゃ」

と思い、定時で帰るために焦ってしまう日々が続いた。


だけどこの部署で毎日定時上がりは本当にきつくて、

だからバグっぽいものを見つけても放置したり、

不安なことがあってもまぁいいやと思って確認せずに作業を続けたり、

後々苦労するのをわかっていても頑張れないようになってきた。


その結果案の定後々バグとなったりして周りからの信用はガタ落ち。

信用がガタ落ちして自信もなくす。

もっと辞めたくなってまた定時に帰るように焦ってしまう。


・・・・・・この無限ループ。


そして4年目になった今、新しく担当を持たされそうでさらに焦り、

「早く辞めなきゃ!!!」ということしか考えられなくなり、

早く帰りたくても4年目で今更質問できないと思ってしまって、

仕事に行くだけでも鬱になってきて今に至る。



こう考えると、原因は自分にあるのかなと思ってしまう。

だけど、自分を責めるようなことは一切したくない。

むしろ、よくここまで頑張ったと褒めたい。


残業は遅い時で深夜2時近くまで残っていた時もあるし、

OJTもいない中よく質問して家でも勉強したし、

周りの期待に応えようと頑張ったし、


もう、休んでいいんじゃないかな。


自分を犠牲にしすぎたよ。


人もよくて、福利厚生もよくて、

いっそのことパワハラされた方がすんなり辞めれるんじゃないかと考えて時もあって、だけど周りは優しくて、

自分は自分のことで精一杯で。


情けないな。皆さん、ごめんなさい。

だけど私はもう限界です。


次の道に進みます。



これからは、自分を精一杯大事にする。

自分に甘く、そして周りの人を大切に生きて行く。


今まで、本当にお疲れ様。






ーーーーーーーー

●追記●

今、読み返すと、

原因は私にだけあるわけでないのに、

「私が原因だ」とまた自分を下に見てしまっていたように思えた。


元々、

この会社(特にうちの部署)は残業して当たり前の風潮があって、

21時30分からやっと仕事スイッチが入ると言っている人も割といた。

そんなのはおかしい。結婚して子供もいる人もいるのに。


さらに同じ会社でも出張の移動で残業代が出る部署と出ない部署があって、

私が出張の移動で残業申請をしたら

「県外への出張の移動は新幹線か飛行機でボーっとしているだけだから出ない」

らしい。

へぇ、他の部署は残業代出るのに。

しかも、このコロナの中出張に行って、早く家に帰りたいのに家に着くのは21時過ぎ。

それを「ボーッとしている」?

ありえない。


こうやって、ちゃんと不満を持つことができるようになっただけでも

私は成長できたかな。


私のせいじゃないよ。会社も間違ってることはたくさんある。

合わなかったんだから早く逃げればいい。


改めて、お疲れ様。 と言いたい。




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