見出し画像

酔って思ったことを連綿と書き残す38「シン・死の媛の、落書き」

シン・死の媛の、死の媛の章のラストを、酔って落書きしました。
ドクトルと死の媛は、毎朝チェスで賭け事をしています。
引き分けだとドクトルは死の媛のわがままを聞く、というルールです。
ちなみに、千日以上、ステイルメイトが続いています。
ドクトル可哀想。

****

「それは、」

 ドクトル・ディアベリは、先ほどから大事そうに抱えている幼女を、しかと抱きしめ直した。
 ステイルメイト。
 今日は、混戦だった。
「絶対、許さへん」
 ドクトルは、醜悪である。
 顔をしかめ、こちらを睨みつけるその形相は、さながらデイモンのようだった。
 今日の、ノゾミ。

 ソノコヲハナセ

 死の媛は丸椅子から立ち上がり、裸足で、二歩。
 彼の抱く幼女を、左手で掬わんとする。
 幼女は、血まみれだった。
「ば、」
 ドクトルは、死の媛の右手首を、捕捉した。
「やめんかい!」
 怒声。
 初めて、聞いた。
「じゃあかしいぞ!」
 二人で、幼女を抱き合っている状態で、事態は硬直した。
 彼が握る右腕を、振り払うことはできない。
 ある日を境に、不具となった。
「そんなステイルメイト、あるかいな!」
 あってもいい。
「あんたかて、同罪だろうが!」
 否定できない。
「その腕を、」
 言って、掴み上げたそれに爪を立てる。裾を、まくる。
「こんなんされても、もっとやれ、言いよったくせに!」
 言ってない。
 それは、あなたの妄想です。
 死の媛の右腕には、数えきれない弾痕と、手術の痕が残されている。
「どうした」
 別の声が、介入してくる。
 彼が、フランケンシュタインだとすれば。
「うっさい!」
 このちいさな背中は、怪物か。
 隣室から入ってきた副総統は、無表情で、黒猫を抱いていた。
 名は、あずき、という。
「嬢ちゃんが、これを手放せ、いうねん!」
 怒気を孕んだ声が、医務室に響く。
「なぜ」
 あずきは、おとなしい。
「ステイルメイトや、ゆうて、」
「ならば、従うべきだろう」
 五歩。
 詰め寄った黒装は、ドクトルの左手首を掴んだ。
 ひねる。
「あ、イッダタタタア!」
 つぎはぎの右腕は、服裾が落ちて、ゆっくりと消えた。
「新しいものを用意すればいい」
 鮮やかな手際。
 死の媛の体は、子供を抱いたまま、軽々と副総統の手に渡っていた。
「仕事に戻れ」
「ちぇ!」
 幼女を奪われたドクトルの左足が、机の脚を蹴る。

「出ていけ!」





 隣室から、派手な破壊音が何度か続いて、そうして飛び出してきたドクトルは、腹立たしさを含んだ杖音を鳴らし、外へと飛び出していった。

「これは、荒れるな」
 あずきとともに執務机に戻った隣人は、ポツリとそう言った。
 かもしれない。
 死の媛は、所在なさげに、部屋の隅に立つ。
「理由は?」
 相変わらず、主語が抜けている。
 そうまでして、その子供を奪い取った、理由は?
 答えたいが、幼女を抱きしめていて、答えられない。
「おろしていい」
 副総統は、こちらをチラリと見た。
「どうせ、汚れている」
 見ると、血のついた足跡が、新旧、床一面にこびりついていた。
「一晩で、そうなる」
 パラリ、と、書類を一枚、箱へと移す。
 死の媛は、言われるままに、幼女を床へとおろした。仰向けに寝かせ、乱れた黒いワンピースを整える。
 すでに、事切れている。
「そう、されたからか?」
 幼女は、右腕を銃で撃たれ、微塵にされていた。
「理由は」
 乱れた髪を、指で梳く。
 両目は。

 ハイ

 死の媛は、空中に文字を書いて、そう答えた。
 幼女の目には、動物の目が埋められていた。
 あずきが、近づいてきた。
 どうしたの?
 そんなような鳴き声をひとつ、交わして、幼女の傍に腰かける。
 そんな、あずきと同じ色の、見開かれた琥珀の目を、死の媛はひとつずつ、閉じた。
 袖口で、汚れた顔を拭う。
「それだけか?」
 副総統の、問い。
 どう答えるべきか、迷った。
 死の媛は、幼女の頬を、撫でて。

 アメ

 その名前を、空に書いた。
 副総統は、黙って、しばらく虚空を見つめていた。

 この幼女は、双子だった。
 アメと、ハル。
 ハルと、母の前で、ドクトルはアメを傷つけたそうだ。
 傷つけて、犯した。
 似せたったわ。
 見てえな。
 そっくりやろ?
 ドクトルは、朝の医務室で、得意顔だった。
「かわええなあ」
 アメの体を、高くかざして、振り回しながら。
 あの時はまだ、生きていた。
 もう少しゲームを、早く、展開できていれば。
「どのみち、助からない」
 副総統は、仕事に戻った。
「後で衛兵を呼んでおく」
 わかって、いた。
 ドクトルからこの子を取り上げても、仕方がないことくらい。
 でも。
 不思議なぐらい、腹が立った。
 おかしなほど、不愉快だった。

 あずきは、投げ出された幼女の右腕を、舐めている。
 傷だらけなのに。
 こわく、ないのだろうか?
 綺麗に、してくれているのだろうか?
 だとしたら、やさしい。

 しばらく、死の媛は、そうしていた。
 あずきと一緒に、幼女の亡骸の傍にいた。
 執務机では、副総統が、変わらず、書類に目を通している。受話器を取り、何やら、命じている。衛兵と連絡を取っているのだろう。
 隣の会議室では、人が少しずつ集まり出している。人の声が、間断なく聞こえ始めていた。
 時計は、まもなく正午。
 定例会議が、始まる。
 居室に、戻らないといけない。
「    」
 すっかり冷たくなったそのちいさな手を、握る。
 あずきが、あくびをした。
「戻る前に」
 副総統が、まとめた書類を手に、席を立つ。
「羽織れ」
 衣桁にかけられていた、黒い薄手の外套を、投げて寄越す。幼女の遺体を、少し隠した。
「血まみれだ」
 薄縹色の麻衣は、幼女の血で汚れていた。
 衛兵たちが、入室する。
 あずきは、逃げた。
「気をつけろ」
 言い残して、副総統は退室する。

 気をつけろ。
 死の媛は、外套を羽織りながら、その言葉を反芻し、気鬱な息をこぼした。
 予感が、正しければ。

 ドクトルは、今日。
 私に、ハルという名の幼女を、処刑させるに違いない。
 夜にも、ひどいことが起きる、はずだ。





 その予感は、外れた。

「いやあ、遅かったじゃなーい! 嬢ちゃーん!」
 いまさっき、私は、三十四名を処刑した。
「座れ」
 副総統の手には、葡萄酒の入ったグラス。
「待っていたよ」
 死の回廊に、ハルはいなかった。
 そうして、地下壕に戻ってくると、リビングでは酒盛りが始まっていた。
 総統閣下、副総統閣下、ドクトル。
 衛兵すら、出払っている。
「ほら、座った、座った!」
 ほろ酔いの白衣が死の媛の手を握り、急拵えの宴席へと誘う。どこから持ってきたのか、高級そうな深紅の絨毯が敷かれていて、花見よろしく、地べたで一杯。
 中央には、豪奢な内容の御重が、幾つも並べられていて。
 おそらく、ドクトルが持参したであろう、独逸の菓子も紛れている。
 これは、どういうことだろう?
 最悪の事態を想定していた死の媛は、一言で言えば、唖然としていた。
「まあまあまあ!」
 朝、あれだけ激昂していたドクトルが、目の前のグラスにたっぷりと酒を注ぐ。
「そんなに入れるな」
 副総統は、お酒が強そう。
「まあ、そういうな」
 総統は、弱そうだな。もう、顔があからんでいる。
「よーし!」
 ドクトルは、下戸かもしれない。
「四人の未来を、祝ってえ!」
 音頭を取り始めた。
「プロージッ!」
 独逸語かな?
「乾杯」
「乾杯!」
「  」
 グラスを交わした。
「嬢ちゃん来るまで待ってたんだよー。さー。食べよー。食べよー」
 ドクトルは、方言が抜けている。フラフラしている。真隣に腰掛けて、体を密着させながら、あれもこれも、と皿にご馳走を盛り始める。
「少し、離れろ」
 副総統。
「お酒取ってくるわ」
 立ち上がる、総統。いいのだろうか。
「いいんだよ」
 ドクトルが、グラスを勢いよく煽る。
「さっきはごめんね」
 これが、彼の素顔なのだろうか。
 よくわからないまま、死の媛も、一口、葡萄酒を口に含んだ。
 うまい。

「嬢ちゃんは、アルェ?」
 序盤から呂律が回らなくなっているドクトルは、酒の嗜み方を知らないのかもしれない。
「死にたい?」
 葡萄酒を、水のように飲んでいる。
 死にたい? と、聞かれても。
 そう思いながら、もしかして、この集いは、そういうことなのか? と思案する。
 最後の、晩餐。

 ベツニ

 そう答えを空に書くと、ドクトルは、ナハハ、と笑った。
「つれないねえ」
 尚も、酒を煽る。絡んでくる。
 離れたい。
 酒瓶を担いで戻ってきた総統は、まだ大丈夫そうだ。慎重に酒瓶を絨毯の上に置いて、これはあれか、これは、いいものだぞ、なんて言いながら、栓抜きを探している。
 お重の中に、殻付きの海老の塩焼きがあるのを見つけて、死の媛はそれを二尾、皿に取った。
「使え」
 目の前の副総統が、空皿を一つ、トン、と置く。
「マミィ、さすが! 気がきくねえ」
 泥酔ドクトルは、死の媛の海老を一尾、掻っ攫った。そのまま、食べている。
「塩辛くないか」
 副総統は、真面目だった。
「その食い方、うまそうだな!」
 やはり酒に弱そうな総統も、ドクトルの真似をする。

 この先、どうなるのだろう。

 死の媛は、二人を途方に暮れて見やりながら、海老の殻をむき取ろうとした。片手でやると、海老が暴れて、無理だった。
「貸してみろ」
 グラスを置いた副総統の手が伸びる。
「いや、うまいで! この食い方! 嬢ちゃんもやってみ!」
「体に悪い」
「何をいうか、この唐変木! 海老の殻はカルシュームが豊富なんだぞ!」
「塩は良くない」
「ミネラルや!」
「良くない」
「なー!」
 結局は、副総統が海老の殻を綺麗に剥いて、お皿によそってくれた。「これも食べるといい」と、だし巻き卵も添えて。中に、白身魚が巻かれていた。
 たいそう、美味しかった。

 本来は。

 死の媛は、三人の様子を見て、ふと思う。
 本来は、こういう仲だったのだろう。
 酒を酌み交わして、未来を語り合うような。
 違うかもしれないけど。
 ちょっとした、家族だったのかもしれない。
 この人たちは。
「嬢ちゃん、ちいとも飲んでへんやんか」
 半分減ったグラスに、別の葡萄酒が混ざる。
「ああ、ばか! 馬鹿者!」
 総統が立ち上がって、そのグラスを取り上げた。グビリ、と、飲み干す。
「これがいい」
 そうして、先ほど開栓していた葡萄酒を、ほどほどに注いでくれた。
「アキも、」
 そう言って、副総統の空いたグラスにも注ぐ。
 アキ、って名前なんだ、と思った。

 アキ?

 副総統に、そう、尋ねてみる。三年ぶりのお酒。少し、酔いが回ったか。
「アカシ、だ」
 そう言って、空に文字をなぞる。
 証。
 いい名前だと思った。

 途中で毒入りの酒でも登場するのかと思いきや、そうでもない宴は、中盤ですでに、二人が脱落した。
 すやすや、と寝息を立てる、大の大人が、二人。
「後で、衛兵を呼ぼう」
 証副総統は、予想に違わず、酒に強かった。淡々と、着々と、葡萄酒を消費している。
 静かな宴になった。
「よかったな」
 彼は、そう言った。
「荒れなくて」
 ああ、と、思う。とっくに忘れていた。
 今朝の、ドクトルとのことは。

 ハイ

 そう、答える。すると、少しは酔っているのだろうか。彼は、屈託なく笑った。
「よかった」
 そうですね。
 宴会場を見渡すと、ドクトルの独逸菓子が、寂しそうに残されていた。
 それを、副総統も、見る。

「食べるか?」
 ソウデスネ

 彼は、シュネーバルに手を伸ばした。
 死の媛は、ケーゼクーヘン。

「甘いな」
 ソウデスネ

「大丈夫か」
 ダイジョウブデス

 時計の針が、二つ並ぶまで、そうして、静かに、飲み交わした。
 最後の彼の言葉は、何だったろうか。
 確か、

「寝る」
 だったと思う。
 唐突に、寝てしまった。

 今日は、十月二十三日、か。

 私たちは、死ぬのだろうか。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?