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酔って思ったことを連綿と書き残す43「連休です」

はしがき。

小説の落書きを、ポイっとします。「シン・死の媛」の、序章と一章の半分ぐらいです。
あくまで、落書きです。
書き終わるまでに、これからだいぶ変えていくと思います。
この時点で、もう40ページほどあるんですよね。
で、こないだ投下した最終章の五章の落書きが90ページほどなので、まさかの長編小説行きです。それも、酒を嗜みながらやりきろうとしているんです。
おっそろしいことこの上ない。
書いてる間は夢中ですからいいですけど、終わった頃には、長編小説を書き上げたD先生のように、なるのでしょうか。
やることが無くなったら、と思うと、今から本当に恐ろしい。
死ぬまで書いてようかしら。

普段、連休は、東京飲んだくれ旅以外で取得しないので、家から一歩も出ない連休は何年かぶりです。もしかしたら、コロナ休業以来かもしれない。三年ぶり?
連休といっても二日間ですけど、洗濯をしない休日、というのがシンプルに新鮮でした。買い出しもせず、参鶏湯作って食べて、これを書いて終わった。煙草が三箱消えた。
明日は、全部やります!
爪切って、掃除して、洗濯して、買い出し行って、燃えるゴミも出します!マインスイーパーもやるぞ!

文章を、いかに上手く書くか、という記事を、よく見かけます。
人の書いたものを勝手に添削するような不逞な方もおられるようですけど、余計なお世話です。
私は、アマチュアのネット詩人上がりの、小説書き一年目ですけど、人の個性は被りようがなく、文章に正解はありません。
亡き友人の詩は、独特でした。
「、」まみれでした。今思えば、呼吸音の再現なんですよね。
決して上手くしなくていいと思いますし、自由に、ピャーピャーしたらええと思います。読み手さんのことは、考えた方がいいんだろうな、とは思いますけど。
誰かに指摘されて、泣く必要も、自信を喪失する必要もないと思います。誰だって、自分が形成したものを、シンプルに、愛するべきだと思います。
呼吸を変えろ、と言われて、変えられる人は二次元の太宰さんくらいです。

変えられても、という話の流れだと、私は声の出し方を変えて十数年ほど経っていますが、一日喋ると、フルマラソン3回分ぐらいの体力を消耗します。ファルセット、ミックスボイスを多用しているんです。毎日が、カラオケです。発声障害所以ですが、変えるという行為、嘘をつくという行為は、それほどに大変です。続けることは、もっと大変。
だから、あれこれ言われて、自分を変えるような大変なことは、しなくていいと思います。
というのもあるし、文章に関しては、私はそもそも、あまり人の小説を読まない方なので、自分なりに、これからも楽しくやっていきます。勉強もしながら。
残りの人生、あってもあと数十年ですけど、何かしら、ずっと、夢中でいられたらいいなあ、と思ってます。大概、酔っ払ってますけどね!

ただ、小説の書き方は本当にわからない、暗中模索さんなので、
「冒頭、これで、あとを読みたくなりますでしょうか?」
という、この落書きに対する感想は、いただきたいです。一言で構いません。
自分じゃわからないので、どうか、ご教鞭頂けたら幸甚です。
お願いします。

余談。
昨日かな、一昨日か。実家に立ち寄ったら、夕餉が鯛でした。
鯛と肉野菜炒めと、ポテトサラダ。
実家は大体、そんな、よくわからない取り合わせです。豚肉とボロニアソーセージの肉野菜炒めは、どっちかでよくないか。
多分、お金があるんですよね。実家。で、やたら、てんこ盛りになるんだと思います。
これを食べて私は育ったのですね、と思うと、より深く、不思議です。
さらに、その余談として、母が鶏肉が嫌いなこともあって、大人になるまで、滅多に鶏肉を食べませんでした。
クリスマスイブの時ぐらい。
当時の給食にも、そんなに鶏肉、なかったですしね。唐揚げも、大人になって初めて食べました。
忘れもしない、サークルKの唐揚げ弁当です。
あれ、美味しかったなあ。
泡沫ですね。


*****

    序


 歓声。
 黒は、たなびいた。

 生ぬるく澱み、数多の生の香を奮わす外気。遊糸かげろうは立ち揺らぎ、風が時に、大鎌のように薙ぐ。
 それは、つめたさを含む。
 嵐の前ぶれ。
 天上は黒雲を、次々と東へ。
 神の国は黙し。
 拍手は、鳴り止まず。
 時計台の、短針は五、長針は十二へと、揃った。
 午後、五時。
 鐘声。
 開錠
 奈落の門が、開く。

 総統閣下に、敬礼を。

 黒が、死の回廊を、右から左へ、ゆらりと移る。括り付けられた、三十余の肉叢ししむら。その前を、ゆらり。
 左手には、鋼鉄。
 オートマチック・リボルバー。
 空は燻み、微細な朱を、甘受せんと欲す。夏宵には、いささか早い。
 補いましょう。
 処刑の、はじまり。
 拍手が鳴る。
 声が、鳴りはじめる。
 初めは小さく、少しずつ、大きく。
 感情の昇華を辿る。
 それは、聖歌。
 見捨てられし魂へ、惨酷に浴びせるもの。
 喚声、ささめき、胴声、
 歎声、
 激声、泣き叫びの声。笑声、
 罵声、
 万歳三唱、欲への墜落、悪声。追従。
 声なき、顫え。
 喝采。
 轟、轟と。
 落花のように。
 零れ落ちる楽の音は、妙なる不協和音。
 数百の観衆の、顕なもの。
 弥撤ミサ曲。
 あらゆる声色が、黒の聴覚を支配する。
 いつからか。
 黒は壇上から、立ち見の観衆席へと、視線を伸べる。
 この感情が、わからない。
 尚も、揺り、すすむ。左方に、三日月。
「        」
 長針も、またひとつ、盤上を歩く。
 拍手は、消えない。
 この感情も、また、不詳。
 鳥の囀りにも劣る。

「シノヒメサマ!」

 或る声、ひとつ。
 音程の不確かな小世界を、小さく、切り裂いた。
 楽は、強へ。
 あまたの声がうねりを伴い、ひとつとなって、夕星ゆうづつへと、錯綜の渦を巻く。

「シノヒメサマ」「シノヒメサマ」「シノヒメサマ」「シノヒメサマ」「シノヒメサマ」
「シノヒメサマ」
「シノヒメサマ」「シノヒメサマ」「シノヒメサマ」「シノヒメサマ」
「シノヒメサマ」
「シノヒメサマ」
「シノヒメサマ」

「シノヒメサマ!」

 クレッシェンド。
 それは夏の残火の、蝉声にも似て。

「コロセ」
「コロセ!」
 転調、した。

「コロセ」

 つと、勁風けいふうが、一迅。
 左から、右へ。シノヒメを、勾引かどわかした。
 ふわり、と。
 その姿を、顕にする。

 ドレスは、くらくはためき。
 ベールは、空に踊った。
 翠髪が、波を描く。
 不詳の顔貌が、覗く。

 なりかたちの、非、現実。
 比類なき、美。
 双眸のいろどりは。

 彼女は、立ち止まる。
 デクレッシェンド。
 楽は、間の刻。
 息を、のむ。場内の、その音さえも、もう。
「    」
 空の、向こう。
 三日月の、向こう。
 深紅のくちさきが、静かに、空気を喰む。
「  」
「  」

 シノヒメサマ。
 小さな、ときの声。

 それに、呼応するように。
 或いは、気付かされたかのように。
 楽は、演奏を始めた。
 新たなる曲。
 アレグロ・ヴィヴァーチェ、フォルテシモ。
 讃美せよ。
 彼女を。
 賛美せよ。
 閣下を。
 賛美せよ。
 正義を。
 賛美せよ、全能を。我らが国、燦国を!

 シノヒメも、また、歓声と共に、歩き始める。
 風の揺らぎで、ベールはふたたび、彼女の容色を覆い隠した。
 さあ、現実へ。
 あの世を、見ましょう。
 Et vitam venturi saeculi.

「コロセ」
「コロセ」
 私の名は、死の媛。
 この国の、浄化を司るもの。

 ゆっくり、ゆっくりと。
 肉叢ししむらの前で、静止。姿体を、右転。
 左腕を、翻転。

 ロック・オン。

 頌歌しょうか終曲フィナーレ
 声の連弾が、止む。
 間。空白。
 不動。
「    」
 長針が、また一つ。

 銃声は空を、真っ直ぐに、撃ち抜いた。



    第一章 先生


 ゴシメイアリ」ミヨウニチキタレヨ」ロウシユ

「ナニゴトヨ」
 夜半に届いた速達電報を読み上げながら、男は、湯上がりの頭髪をもりもりと掻いた。どうにもさっきから、頭の或る箇所が痒くてならない。
 こんなところにも、蚊は生き血を吸うべく、止まるものなのだろうか? もしかして、「人間の頭の血を吸ったら頭が良くなる」なんて神話でも、蚊の世界で流行ってる?
 健気なこと。
 それよりも、これよ。

 ゴシメイアリ」

「絶対、嘘」
 差出人のロウシユの表情を想起して、湯上がりの顔も心も冷え冷えとする。
 ベルがどうにも盛んに鳴るから、風呂から飛び出し、眼鏡もつけ忘れ、腰に手拭いも巻かず、庭を突っ切り、この電報を受け取ったけども。
 これは、あれです。
 翻訳しよう。

 イイカゲン」ツケヲハラエ」ロウシユ

 です。
 時間指定が、ないでしょう?
 会いたい時間を記さないと、待ってる人が一日中、僕を待つことになるでしょう?
 なので、待ち人はいません。
 これは、罠。
 僕の行きつけの妓楼、赤鳳楼せきほうろうのやり手淑女、楼主さまの陰謀です。
 僕を浮き足立たせて出頭させよう、という寸法よ。
「ツケ、なあ」
 一体いくら、貯まってるんだろう。まあでも、十数年通ってる上客に最後通牒をするくらいなのだから、
「まずいなあ」
 年収額よりは、上を行っていそうだ。

 ハラエマセン」センセイ

 必死の形相でこれを届けてくれた、さっきの電信脚夫がこの内容を知ったなら、要らぬ用で同性の局部を見た、なんて、川のほとりでさめざめと泣くに違いない。
 ひどいことを、しました。この電報を速達にした、楼主さまがね。
 長い、長い、独り言。
 センセイは、歎息する。

 ミヨウニチキタレヨ」ロウシユ

 にしても、なんで、明日なんだろう?
 なんで、速達だったんだろう?
「はてな、」  
 明日、考えよう。
 ひとまずは、今日の、酒!
 センセイは独り言を終え、冷藏庫へと向かいながら、衣桁いこうに雑に引っ掛けておいた生成きなり色の浴衣を拾う。ばさり、と裸体におっ被せ、台所に向かう。
 センセイは一人住まい。氷屋は、毎朝配達に来てくれるけど、働いているので立ち会えない。それでも、いつも勝手に冷藏庫には氷が入っている。
 そして必ず郵便受に、手書きで認められた請求書が入っている。隣家の淑女、まささんの字だ。実に達筆でいらっしゃる。
 今日は、こうでした。
『氷、金七銭也』
 高い。どんどん値上がりしていく。つい数ヶ月前まで、氷は金三銭だった。
「もう、明日、氷屋さんにいとまを出そう」
 ほとんど空っぽの冷藏庫に、一人暮らしで一日金七銭は使えない。
 昨今は酒も配給制で、ろくに入手できなくなった。清酒が、月に一合。気づくと、我が家の台所にそっと置かれている。本当はその半分が各家庭への配給量なのだけど、まささんの家はお酒を飲まないので、僕に譲ってくださるのだ。
 生葡萄酒なんて、今ではバーやカフェに行っても、あるかないか。
 センセイの家にそんな貴重品があるのは、伝手つてだ。そのためだけに、氷を入れていた。
「飲みきっちゃえ」
 台所に踏み込む。
 明日は土曜日。休日。
 起きたら、冷藏庫を麻紐で封印しよう。まささんに氷不要の旨と、金七銭を支払おう。氷屋さんが来たら、鄭重にお断りをしよう。伝手には、頼信紙に『キンシユノチカイ」センセイ』と認めて、脚夫に届けさせよう。
 冷藏庫を売ろう。豹の毛皮の敷物も売ろう。
 禁酒の誓い。
「今日は、飲むぞ!」
 そう意を決して冷藏庫を開けると、生葡萄酒は、瓶ごとなくなっていた。
 今は何かと、物を争う時代なのだ。すっかり、三本まるっと盗られていた。
「ひどいなあ」
 誰よ。一本ぐらい残しておいてよ。センセイは、まささんの達筆な請求書を、冷藏庫の中へと放り捨てた。でっかい氷は、何も冷やさず、ぐうすかと眠っている。
 呑気なものね。
 おうい。センセイは、その氷を叩き起こした。
 そうして、目を覚ました氷を冷藏庫から取り出し、腹が冷えるのも厭わずに、二階まで、うんしょと持ち上げる。そうして寝室の板敷、風上に、どん、と置いた。
 これで床が腐ろうと、傷もうと、知るものか。
 酒がないなら、寝るしかない。
 なんなら抱いて眠ってやる、とすら思ったが、さすがに氷とは添い寝できません。
 でも、これで少しは涼しくなるだろう。
 眼鏡を取り外し、蚊取り線香もしっかり焚き、センセイは寝台に、ゴロン、と大の字になった。ああ、つかれた。何か、一気に、つかれた。センセイには、独り言が多い。しっかりと、独り身の末路に立っている。
 お邪魔ものです。
 視線の先には、何もない天井。
 ついこないだまでは、シャンデリアが付いていた。
「つまらないよ」センセイは、天井に話しかける。
鎧戸よろいど、使おうかな?」
 天井は、何も言わない。

 ゴシメイアリ」ミヨウニチキタレヨ」ロウシユ 

 明日、かあ。
 センセイは、明日の今時分のことを、想像した。
 赤鳳楼せきほうろう
 今ではすっかりと敷居の高くなった、色街に名高い妓楼である。十年来、通っているお店だ。
 しばらく、行ってなかった。
 赤鳳楼、か。
 センセイの声が、むなしく天井へと消える。いろんな顔が、チラチラ、瞼に浮かんだ。
 あの頃は、よかった。
 目を瞑る。シラフで眠るの、いつぶりだろう。
「ご指名、本当だと、いいな」
 蚊取り線香が、「そうですね」と、小さく爆ぜる。
 コオロギは庭の薮草で、ピィピィ、演奏会だ。
 外気が、少しだけ涼しい。

 秋、ですね。

 *

 豹の毛皮の敷物は、金二百圓で売れた。檜上材の氷冷藏庫は、来週末に骨董店の主人が家へ鑑別に来てくれる手筈となった。と言っても、そもそも金百圓もしなかったはずだから、高く売れたところで、金二、三十銭といったところだろう。
 ふつうなら、しばらく生きていけるほどの金子きんすなのだが、ツケにはまるで足りない。
「残念」
 独り言をこぼして、色街いろまちの前門をくぐる。あの毛皮、もうちょっと、良い値がつくと思っていた。
 胸ポケットに押し込んだ二枚の百圓札は、センセイをかえって寂寞とさせた。「ツケを払います」って、これを楼主さまにお渡ししたところで、遊んでまたツケたら何の意味もないような。
「悪循環、」
 このまま赤鳳楼せきほうろうに行かないで、どこかでパッと飲んで帰っちゃいたい気分です。だって、こんな薄暗い心持ちで来る街じゃないんですもの。
 二城にじょう色街いろまち
 燦国さんごく首都の大歓楽街。
 人為的に形成されたこの街は、まるで、極東のレプリカ。正方形の外廓を持ち、九つの門から出入りをする。丁も、正方形。大昔からあるそうです。
 昔の人も、物好きね。遊ぶために、とんでもないまちづくりをしたものだ。前門をくぐるたびに、センセイはそう思います。
 今昔関係なく、人は駄目な生き物なんですね。
「よおし」
 センセイは、大賑わいの表小路から逸れて、人がすれ違うのもやっとの路地裏へと潜入した。
 酒が配給制になってから、二城市民は酒を求めて、色街にやってくるようになりました。
 今、表小路で酒を飲もうと思ったら、大変よ。
 長い行列に並んで、身動きできない店内で薄められたビールをガブリ。一杯飲んだら追い出されて、また列に並ぶ。酔いが覚めた頃にまた窮屈な店内に押し込まれて、ガブリ、です。
 二十四時間飲んだって、酔えません。
 午後五時半。
 今頃は、死の回廊の、死の媛の公開処刑も佳境でしょう。色街の路地をくねくねと行った場末に、看板のない、一見さんお断りのバーがあるんです。
 なんと、竹藪の中にあります。
 僕は二十年前から色街に通い始めたけど、昔とった杵柄きねづか、という言葉がこれほど身に沁みたことはありません。そのバーでなら、酔えます。
 人間、何事も経験値。

「あ、先生!」
 竹藪の陋屋ろうおくの扉を開くと、快活そうな店主の声が、店中に響き渡った。
「ツケ、やっと払いに来てくれましたか!」
 膝が、折れた。ああもう、いったい、どこでどれだけツケてるのか、わからん。
「いくらだっけ、」
 誰もいないカウンタの、店主の眼前の席に腰掛けて、早速お勘定を願い出る。赤鳳楼も、バー・名無しも、経営が厳しいのだろうか。
「金一萬圓に御座います」
 嘘ですね。
「ああ、桁を間違えました。一圓です」
 なあんだ。前回の分だけか。先生は安堵して、鞄の革財布を取り出す。一圓金貨を二枚、カウンタテエブルに置いた。
「お。飲む気、満々ですね!」
 そりゃ、そうですよ。
 これから、金二百圓を手放すんですからね。内心、そうぼやきながら、店主にアブサン・トニックを所望する。
「ストレートじゃなくて、いいんですか?」
 ご指名を受けてますから。
 そういうと、店主は、ふふ、と笑った。
「じゃあ、アレ、多めに入れますね」
 この人は何者なんだろう? 
 毎回、先生は思います。
 人の飲む酒に、精力増強剤とおぼしき、謎の液体を混ぜてくれるんです。効果はテキメン。おかげで、ここを経由せずして、妓楼に行けなくなりました。
 竹藪みたいな色の酒が、アーモンドと共に供される。
 苦味、甘味、香ばしさ。やましさ。
 体液のような味わいを、楽しむ。
 ランプの明かりだけが頼りの、仄暗く、細長い店内を見渡して、
「誰もいないね」
 そう言うと、店主は、アブサントのように苦々しく笑った。
「船長さんを、覚えてます?」
 ここでは常連さんを、あだ名で呼ぶ。
「先ほど、亡くなったそうです」
 へ?
「死の回廊に、上がられたそうですよ」
 待って?
「今、五時半ですけど、」
 それを視認した人がいたとして、「號外です!」って、ここに駆け込む確率は、七百万分のゼロです。
「しばらく、お見えにならないから気にはなっていたんですけど」
 店主は、店内の狭い空を、追憶と共に仰ぐ。
「ダラアさん、覚えてます?」
 はい。
 貨幣局のダラアさんですよね。
 あ。
「そうなんです」
 店主は、笑う。
「電話先で、ぷーぷぷっぷ、ぷぷー、ぷぷーぷぷっぷ、」
 モールス信号。
「死の回廊の眼前に、貨幣局がありますので」
 このお店のスパイは、あの人なのか。
 地味なお人です。
「死んだ、」
 船長さんは必ずこの時間、このお店にいた。なぜなら、朝が早いからだ。
 もう、来ないのか。
「ツケを払ってから、捕まって欲しかったですけどね」
 僕と同類でしたか。
「なんで、捕まったの?」
 その問いには、「さあ?」と、返ってきた。
「拾っちゃいけない遺体でも、拾ったんじゃないですかね」
 船長さんは、川専門の船長さんでした。下流から上流へ、物資を届ける仕事を手掛けられていた。
 このお店もでよく、「遺体が引っかかってからさあ」なんて裏話はされていた。得心のいきそうな話だ。
「ダラアさんは、」
 ふと思い、その名を口にした。
「職場でそんなことしてて、大丈夫なんです?」
「大丈夫ですよ」
 店主は笑う。
「僕たちにしかわからない暗号を使ってます」
 誰もいない店内を、ぐるりと見渡す。
「盗聴対策も万全です」
 いや、あの。
「まさか、あっち側じゃ、ないでしょうね?」
 巻き込まれたくは、ない。
「違いますよ」
 店主の表情には、嘘が見当たらなかった。
「だとしたら官吏のあなたに、どうしてそれが言えますか?」
 二杯目も、アブサン・トニック。三杯目にはギムレットを頼んだ。店主の盛った薬を、ちょっとお酒で抑えないと大変なことになるんです。そうして一圓金貨が泡沫のものとなる。
 誰も、来ない。
「最近、ずっと、こんな感じなの?」
 尋ねると、店主は困った顔をした。そうなんです。
「悪い噂でも、流れてますかねえ」
 実際、貨幣局のおじさんを密偵に使うだなんて、悪いことしてますからね。
 致し方ありませんね。




 左腕の腕時計は、午後七時になろうとしていた。
 竹藪のバー・名無しを出ると、外はすっかり暗く、夏の終わりを教えてくれる。
「なのに、なんでこんな暑いのよ」
 もう、汗だくです。
 今年は、暑い。暑かった。
 八月の初頭なんて、連日、歴代の最高気温を更新して、八月十一日には摂氏四十一度を超えた。秋冬の野菜も今年は不作だろう、と連日報道されていて、今から少し心配です。
 ただでさえ、何でもかんでも配給制になるほど、燦国さんごくは厳しい状態なんですから。さっき、名無しのバーで飲んだお酒も、砂糖が随分と控えめでしたし。
 このままじゃ、農村部はさながら、国全体が、喘ぐことにならないかしら。色街いろまちの飲食店も、バーも、妓楼も、閉まっちゃうんじゃないかしら。何も提供できなくて。
「それは、困るなあ」
 独り身は、外食が基本です。
「困る、」
 ほろ酔い先生は、妓楼、赤鳳楼せきほうろうへと向かって居ります。
「庭を、畑にしておけばよかったかな」
 独り身にはたいそう勿体無い、家屋よりも広大な庭を所有している。生家住まいの独り身、あるあるです。
 なんなら池もあるし、鴨も亀も、草も木も、お好きなように繁殖しております。九月十日現在、ちょっとした樹海です。大きすぎる鼠が風呂場に闖入ちんにゅうした時は、大いに叫びました。
「樹木のおじさんに、頼もうかな」
 三軒隣の植木屋の老翁の顔が、月のように虚空へと浮かぶ。いつもは頼まずとも勝手に庭を剪定してくれるのだけど、今夏は一度も来なかった。植木屋も、経営が厳しいのでしょうか。
 庭を全部畑にして、面倒見て! なんて言ったら、怒るかしら。
 野菜を作るとしたら、何がいいかしら。
「大根、かぶ、春菊、芋、」
 あとは、豆類?
「ご飯作ってくれる人も、必要だなあ」
 愛妾でも囲います? 冷藏庫、売らないほうがいいかしら?
「んー」
 悩むところね。
「暑い」
 先生は路地で立ち止まり、涅色くりいろのスーツのポケットからハンカチを取り出した。丸眼鏡を外して、面長の顔面をポンポンと拭う。バー・名無しのあの謎の液体は、汗さえ吹き出さなければ、最高なんだけどな。
「のど、乾いた」
 ワイシャツは、もはや、湿度製造機です。
 汗を吸い上げて、肉体ごと蒸発させ始めております。
「薄物、着てこればよかった」
 明日は、このスーツとワイシャツを、洗濯屋に持って行かないとだめかもしれません。
 二倍の値に釣り上がっている、あの洗濯屋に。
 金五圓也。
「あー。莫迦ばか
 こんな気分で歩いたら、色街に失礼です。
 赤鳳楼に着いたら、まずお風呂。
 そして、美女です。
 世知辛いことは、忘れましょう!

「まあ、色男!」
  その声は後方から飛んできたので、十中八九、出鱈目です。「鯛は、如何いかがかしら?」
 鯛とは色街の隠語で『佳い娼妓』のことですが、大概は道ゆく男を招き入れる名台詞です。そして、聞き慣れた声です。
 振り返ると、あら、と、案の定な声が返ってきた。
「先生、久しぶりじゃないです?」
 妓楼、華三菱はなさんびしの女将さんだった。名前は、なんだっけ。
「ちいさん、」
「それはお向かいの、『松風』の奥さん」
 待合の女将さんと間違えた。「まつです」
 ややこしいので、改名してください。
 あと、今日は、赤鳳楼に行かないといけないんです。
 そう言うと、あらまあ、と、まつさんは残念そうなお顔をなされた。
「土曜日にも、お仕事を?」
 スーツの裾を、まつさんが哀れみの表情で盛んに触る。それは今、後悔していたところです。首を振り、まつさんに、念の為、尋ねた。
「鯛とは?」
「今日は、いないんですよ」
 今日も、でしょう?
「いえ。たまにはいますよ」
 絶対、嘘。
「嘘じゃ、ありません」まつさんは不服げに、豊満な胸を北の夜空に張り上げた。
「十四日にいらしてくだされば、お見せしますわ」
 なるほど。水曜日。
「最近流行りの、人妻ですか?」
 少し前まで、娼妓のなり手は、女衒ぜげんで売られた幼女たちだった。最近は、食い扶持ぶちを繋ぐために、大人の女が自らを売り出している。これが、人気だというのだから、人間はとんと駄目です。
 その問いを、まつさんは否定した。そんなんじゃ、違います。
あやさまですよ」
 思いがけない名前が飛び出てきた。
「ご存知ありません?」
 知ってます。
 人妻よりも話題沸騰の、謎の娼妓ですよね。
 特定の妓楼に所属せず、事業家よろしく、自分で自分を売っている、神出鬼没で、たいそうお綺麗と噂の人だ。
 それだけに。
「本当に?」
 疑わしすぎますが。
「嘘だとお思いなら、十四日の今頃においでくださいませ」
 絢さまに、お願いしておきますから。
「へえ」
 そりゃ、鯛だ。「幾ら?」
「時価です」
 最も恐ろしい、言葉です。
「そりゃあ、おっかない」
 家を売らないといけなくなりそう。
 アパート、探しておきますね。

 十四日、午後七時。
 華三菱にそう豫約よやくを取り附けて、先生の浮足は、赤鳳楼への最後の角を右へと曲がった。
「あ、」
 唐突に、忘れていた『約束』を思い出す。
「おじさん!」
 子どもは、容赦できません。
「待て!」
「チョコレイト!」
「うわああああああん!」 
 三つ巴の、激しい抗議の始まりです。ごめん、忘れてた!
「えー!」
「チョコレイト、くれるって、言ったじゃん!」
「うわあああああん」
 路地裏の小さな住民たち。右から、もじゃもじゃ君、でかめがね君、おかっぱちゃん。四年来のお付き合いです。
 伝説のお菓子、チョコレイトを持ってくるって、約束してたんだった。失念しておりました。
「ごめん、ごめん」
 国境封鎖下の燦国では、輸入頼りの珈琲豆も、チョコレイトも、もはや入手不可能。
「今度じゃ、駄目?」
 闇市で売っている、まがい物。
 彼らの欲しているものはそっちの、体に悪そうな食べ物です。
「ダメ!」
 駄目ですか。
「おなかすいた!」
「うわああああああん!」
「やだ!」
 うーん。
 どうしようか。今日は、飴も持ってないし。
「チョコレイトじゃないと、駄目?」
 念のため、確認。
「なんでもいい!」
「おなか、すいた!」
「うわあああん」
 わかりました。
「ちょっと、待ってて」
 華三菱と、赤鳳楼とで迷った挙句。
 突き当たりにある、目的地、赤鳳楼へと到着です。

「食べ物、あります?」
 昨日の速達電報も、ご指名も、そっちのけな僕の第一声に、楼主さまは、たいそう怪訝なお顔をなされました。ですよね。
「これ、」
 百圓札二枚を、胸ポケットから楼主さまに掴ませて、耳打ちする。
「チョコレイト、」
「そんなもの、あるかい」
 本物は、今では一軒家よりも高価な食べ物です。
「その辺の鬼灯ほおずきなら、好きにしな」
 言われて見てみると、中庭のあちこちに、鬼灯の実が成っていた。
「幾ら?」
「一厘」
 ツケといてください。
 良さげな鬼灯をしばらく収穫していると、楼主さまが「ほら」と、風呂敷に包んだはこを、僕の薄い胸板に預けた。
 はてな?
「あまりもんだ」
 見てみると、海老と、鯛の塩焼き。
「うーん、」
 ありがとうございます、と、言いたいところだけど。
「お腹、壊すかも」
 路地裏の孤児が、施された豊かな食物で、翌日帰らぬ人になることが、ままある。
 先生、ちょっと不安です。
「野菜の切れ端とかが、良いんです」
 人参の皮とか、茄子のヘタとか。
 それならいくらでもやるよ、という、楼主さまのお言葉をいただいて。
「厨房、お借りしてもいいです?」
 僕は、財布の中の十銭硬貨を、楼主さまに手渡した。
 瓦斯ガス代金です。

「ほら」
 お借りした鉄鍋ごと、こしらえた白濁色のスウプを路肩に置く。匙を、三人に配る。
「甘くはないけど、」
 残飯シチューもどきです。
 器によそって渡すと、もじゃもじゃ君も、でかめがね君も、おかっぱちゃんも、熱々のそれを一息にかき込んだ。海老と鯛はすり身にしたし、薄味にしたから、多分大丈夫だと思う。まかない用の蕎麦の実も少し拝借しました。こんなんじゃ、おなかは膨れないと思うけど。
「ごめんね」
 言うと、もじゃもじゃ君が反駁した。「うまい!」二杯目を所望する。はいはい。
 食べ過ぎは体に毒だから、半分ね。
「これ、なあに?」
 おかっぱちゃんが、緑色の葉っぱを指し示す。大根の葉っぱです。「これは?」大根の皮です。「これは?」胡瓜の皮です。
「ぜんぶ、おいしいね」
 それは、よかったです。
「チョコレイトが手に入ったら、絶対、持ってくるから」
 収穫した鬼灯をでかめがね君に渡すと、露骨に嫌そうな顔をされた。
「いらない」
 なんでですか。
「食べ飽きた」
 左様ですか。でも、貰ってくれないと先生、困ります。
「食べる、」
 おかっぱちゃんが、代わりに受け取ってくれた。
「チョコレイトは、いつ?」
 二杯目を食し終わったもじゃもじゃ君が、空っぽになった鍋を覗く。そうだなあ。
「来週、かな」
「遅い!」
「明日!」
「うわああああん!」
 そんなこと言われても。
 明日は、二日酔いで、駄目です!




 その話をすると、僕を指名した娼妓は、たおやかに笑んだ。左手には、鬼灯ほおずき
「先生は、お料理がお得意なんですね」
 昨日の楼主さまからの電報は、嘘じゃありませんでした。
「普段から、自炊を?」
「いや、」
 最近は、してません。漬物ぐらい?
「カレーを、昔はよく作ってたんだけど」
 国境封鎖が始まって、はや三年近く。スパイスなしに、カレーは作れません。こうなる前に、国中のスパイスを買い占めておけばよかった。
「カレー、食べたいなあ」
 あれも、一軒家より高い食べ物になってしまった。
「カレー、好き?」
 尋ねると、ふふ、と袖口が口元を覆う。「プデングの方が、好きですわ」
 甘党だ。
「甘党なんです」
 可愛い。
「ふふ」
 そうだ。娼妓はそう言い置いて、懐中の筥迫はこせこを取り出した。
「帰り道に彼らがいらしたら、これを」
 そう言って僕に手渡してくれたのは、飴玉だった。水色、薄紅色、琥珀。
「私も、よくこれをかじりますの」
 齧るんですね。
「はい」
 その容姿から随分と想像がつかない言葉を反芻しながら、先生は、華三菱はなさんびしのまつ女将に内心、謝る。先ほどの豫約よやくは、朝帰りに取消させていただきたく存じます。
 なぜなら今、目の前に、あやさまがいらっしゃるからです。
「絢と申します」
 三つ指でご挨拶された時は、思いっきり、耳を疑いましたよ。今のさっき、まつさんと話してたばかりだから、余計に驚いた。
 話題沸騰の謎の娼妓、絢ちゃん。
 先生は今、クールを装っておりますが、燦国さんごく中の男子に同文電報を送りつけたいほど、大興奮です。
 アヤチヤンミツケタリ」カワイイゾ」センセイ
 絢ちゃんは、噂に違わぬ美人さんだった。
 黒く艶やかな髪は、耳元でまっすぐに揃えたモガ風。奥二重のまなこは色素が少し薄く、切れ長で、流し目がよくお似合いです。紅をさした唇が、少し肉厚なのがたまらない。肌も、真珠のよう。お顔が、小さい!
 そして、真朱の牡丹柄の重ね襟に、白無垢、浅葱の打掛。
 理想的です。最高です。
 鯛です。
 何もいうことはありません。
 素敵すぎます。
 そんな美女に酌をつけられてしまった日には、ついうっかり飲み過ぎてしまいそうで、恐ろしくなります。
 これは、三日酔いかも知れません。
「手、綺麗ね」
 蒔絵銚子を持つ瑞々しい手指も、思わず握りたくなる美しさ。
「なんて言うんだっけ、それ?」
 きちんと研がれた爪は、赤く染められていた。最近の若い女子の流行りだ。
「マニキュアですよ」
 美女と四方山話よもやまばなしをしながらの、一献。
「マニキュアかあ」
 良い感じに冷やされた酒が、喉元を滑り落ちてゆくのが分かる。この世で今、一番美味しいお酒です。
 贅沢。
「絢ちゃんは、」
 聞きたいことは、いっぱいある。どれにしようか。
「なんで、僕のことを?」
 肴の乗った足付に箸をつける。鯛の塩焼きが、お膳の真ん中に乗っていた。美味しいものは先に食べるのが、僕の流儀です。お腹が空きました。
 いただきます。
 ほろり、と、箸で切り身を分ける。
「だって、先生は有名人じゃありませんか」
 鯛、柔らかい。
色街いろまち屈指の遊び人で、」
 湯上がりの僕の太ももに、絢ちゃんの手が伸びる。
「たいそう、お上手だと聞きましたよ?」
 いやあ、それほどでも。って、誰から?
「色街の子どもたちに、読み書きを教えられていて、」
 それは、学校に通えない子が、多いんです。
「内務省にお勤めで、」
 意外と薄給です。
「社会局、統計課」
 そこまでは、誰にも言ってません。
「本当のお名前は、みつら、」
 思わず、唇で唇を塞いじゃいました。ちょっとこれは、まずいことになっております。
 本名はともかく、統計課は、おかしい。
 一分ほど濃厚な接吻を交わして、離れると、絢ちゃんは嫣然と笑った。
「やっぱり、お上手ですね」
 こっちは、それどころじゃないです。
「あの、どういう、」
「まあ、お飲みになってくださいな」
 頬に接吻してから、絢ちゃんは空いた盃を僕に持たせる。
 とくとく、と、二杯目。やっぱり、綺麗な手だ。
「この度は、先生にお願いがあって、お呼び立てを致しました」
 なんでしょう?
 くい、と酒を飲み干して、三杯目。
「私を、身請けしてくださいませんか?」
 盃を落としそうになった。
「は?」
 思わず、後退り。座布団から半分ずり落ちて、絢ちゃんをまじまじと見つめる。絢ちゃんは、平然としている。
しょうでも構いません」
「ま、待って、」
 なんで、そうなるんです?
 絢ちゃんは、綺麗に笑うと、箸で飛龍頭ひりゅうずを摘み、アーン、と、僕のお口に近づける。
 美味しくいただきました。
「戸籍が欲しいんです」
 声量を落として、絢ちゃんはそう告白した。
燦国さんごく国籍を取得して、死の回廊へ行きたいのです」
 ああ、もう、これは、確定です。
「先生なら、その観衆を選べるのでしょう?」
「絢ちゃんが、」
 三杯目の盃を、飲み干す。
「スパイじゃなかったら、二つ返事なんだけどね」
 本心です。
 こんな別嬪さんが奥さんになってくれるなら、とんだ果報者よ。
「協力は、しないよ」
 この子は、スパイだ。数年前までは同胞だった、嘉国かこくの諜報員。
 この状況だけで、すでに片足が死の回廊の壇上に上がってしまったようなものだけど、協力は致しかねます。
 この国の法律を、ご存知でしょうか?
「罪の区別なく、すべての罪人を死刑に処す」
「もちろん、存じ上げております」
 絢ちゃんは、四杯目の酒を、なみなみと注ぐ。酒の水面には、僕の間抜けた眼鏡面。
 沈黙が流れた。
「飲む?」
 絢ちゃんに、盃を進める。うつ伏せた未使用の盃を、絢ちゃんが手に取る。
「いただきます」
 蒔絵銚子を手に取ると、随分と軽くなっていたので、追加をお願いする。面倒なので、二本分。
 新しい酒が届いてから。
「なぜ、あそこへ行きたいの?」
 絢ちゃんに尋ねた。すっかり、小声です。
 死の回廊。
 燦国の枢機、李宮りきゅう正門広場に造られた処刑台。
 元旦を除く、毎夕五時に公開処刑が執行される。一九三六年四月二日の初回を皮切りに、かれこれ二年半。処刑者数はまもなく三万人に達する。
「死の媛の正体を確かめるためです」
 処刑人の名前は、死の媛。
 通称です。
「もっとも、それは、先生からお尋ねしても良いのですけれど?」
 お酒の入った絢ちゃんは、ちょっと意地が悪い。
 協力しないもん。
「あの場所には、燦国国民しか立ち入れません。それも、『緋文字ひもんじ』が必要です」
 死の回廊で手渡す、受付票。宛名と日付の書かれた赤文字の簡素な書状で、正式名称は『燦国浄化斎行召集令状』といいます。
 社会局、統計課のお仕事です。
「あの噂が、本当かどうかを、確かめたいのです」
 くい、と一息。
 絢ちゃんが盃を飲み干した。大丈夫かしら。
「なんで、」
 階下がにわかに騒がしくなる。このご時世に珍しく、団体さま御一行がいらしたようだ。警察や軍じゃないといいな、なんて考える。
「噂の真相を、確かめたいの? って、」
 これは、愚問か。
 失敬。 
 噂は、こうです。
『死の媛は、天渺宮てんびょうのみやの亡霊ではないか?』
 莫迦莫迦ばかばかしい。
「亡霊では、人は殺せないよ」
 先生は、揚げ物に箸を触れる。今日は椎茸と、かき揚げが乗っている。豌豆豆えんどうまめかな?
 椎茸からいただこう。
「そのお言葉の真意を、伺っても?」
 絢ちゃんは、手酌酒を始めました。お客さんにも注いでください。
「真意なんてないよ」
 椎茸が、肉厚で最高です。
「そのままの意味」
 天渺宮は、約三年前に亡くなりました。嘉国梁園かこくりょうえん、一代限りの宮家、天渺宮。享年十六。
 先代嘉国女王陛下と共に暗殺され、嘉国燦州さんしゅうは、燦国になった。
 世に言う、燦国事変です。
「もし、噂が本当だったら、絢ちゃんどうするの?」
 亡霊が、人を処刑してたら。
 尋ねると、絢ちゃんは、盃を置いた。
「奪還に向けて動きます」
 真顔で、そう言った。
「そのための『絢』ですから」
 コードネーム、というやつですね。
「本名、教えてくれたら、」
 豌豆豆のかき揚げを頬張る。
「協力しようかな?」
 それには、カラカラ、と絢ちゃんの笑い声が返ってきた。
「致しかねます」
 ひどいなあ。
「こっちのは知っておいて、言わないなんてずるいよ」
 みつら、まで、バレちゃったじゃないですか。
「みつらけ、」
 ああ! 言ったな!
 絢ちゃんを押し倒した。首筋を美味しくいただくと、あはは、と、笑い声がする。
「やだあ」
 本当にこの人、スパイかな?
「先生」
 そのまま、たわわな乳房を口に含むと、絢ちゃんが、まろやかな声音で僕を呼んだ。
「このまま続けても、いいのですけど」
 いいんだ。
「ご協力はいいですから、雨さまのお話を、お聞かせいただけませんか?」
 唐突だった。
「なんで、」
 ふくよかな唇をいただく。なんで、って聞いておいて、塞いじゃったら元も子もない。
 数分間の、淫らな接吻。ああ、と、絢ちゃんが喘ぐ。
「気持ちいい」
 さては、酔ってますね?
 絢ちゃんの目は、すっかりととろけていた。
「やっぱり、お上手です」
 ありがとうございます。
 で。
「なんで、雨の話を?」
 四年半前まで、この赤鳳楼せきほうろうにいた、伝説の娼妓、雨。
「先生の、ご贔屓、だったのでしょう?」
 福耳に舌を這わせると、絢ちゃんの体が大きくしなる。
「うん」
 本当に、可愛い人でした。
「私たちは、あまり、よく、知らないのです」
 複数形、か。
 左手を、上前の中へと滑らせる。
「そのお話なら、『罪』には、ならない、でしょう?」
 そうね。
 構いませんよ。
 話そっか。

 長くなりますよ。

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