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酔って思ったことを連綿と書き残す23.5「911は骨折とテロとコロッケと水没の日」

今日は9月11日。

職場では毎月11日に大規模地震を想定した避難訓練が実施されるのだけど、それをはすに見ながら、9月11日ぐらいはテロを想定した避難訓練にしたらいいのにね、と、当時のNYと全く似たような高層ツインビルで働く一従業員は思う。

世界同時多発テロも、よく考えたら夏の出来事だった。
その日、私はバンドの練習で、22:40頃に帰宅した。当時は両親の別居時代。前回の話を引っ張ると、母が不倫をして家出をして、その不倫相手から斡旋された団地の11階に母と私は住んでいた。
私は、ちょうど、母の不倫相手と愛人関係の真っ最中だった。

帰宅して、まず目に入ったのが、ギプスだった。
足にギプスをつけられた母が、その足を床に投げ出して、テレビを見ていた。
「その足は?」
母はテレビを指差した。「そんなことよりも」
高層ビルが煙を上げている。母は頭も頗るいいが(どこかで書いた気もするけど、子供の頃のIQテストで180だった人だ)感受性も高くて、些細な映画やドラマでも、最近だとウマ娘シリーズでも韓流ドラマでもわあわあと泣くような人でね。
そんな人が瞳孔をかっ開きながら、テレビを指し示して、ビルが煙を上げるのを見ていた。
海外の映画でも見て、また、フワフワとしているのかな?
当時は母も飲酒していたので、空いた酒瓶が彼女の両サイドに鎮座していて、足が折れたショックで飲みまくって、わあわあしている、ように見えた。
「なんの映画?」と聞いた。
母、無言。
その時、飛行機がビルに突っ込んでいった。
そんな映画、あったっけな?
随分とリアルだなあ、なんて見ていたら、母が「これ、生中継」とおっしゃったのだよね。
で、そのあと、本当に生中継っぽい感じでテレビもわあわあとなって、二人でその後の顛末を見ていた。
お風呂に入ることすら忘れた。
母の足については翌日に聞いたが、どうやら、駅で転んだんですって。
今思うと、骨折した日にテロを見る「或る一日」って、そうそうないだろうな、と思う。

その翌年くらいかな?前後は定かじゃないけど、9月11日に、地元で、今で言う「ゲリラ豪雨」があって、当時住んでいた地域が水没した。

その日、家には偶々彼氏が遊びにきていた。
私が処女喪失したのは「彼」ということになっているが、彼と初めて性行為をした時、「本当に?」と言われたのは、ちょっとしたミスだった。
「彼氏としたのは初めてだ」それだけは本当なのだけどね。

それはさておき、雨がすごい降ってるねえ、といった感じで、最初はのんびりとしたものだった。
家は11階だった。
その時、団地の1階部分がすでに水没していたなど、目視でもわからなかった。
それぐらいに雨が降っていた。
今と違って、ネットはあったけど、まだ家庭には普及していない時代。ケータイもガラケーで、電話とメール機能ぐらいの代物だった。
雨雲レーザーも当然ない時代だった。
そして、11階からも、階下の惨状はわからなかった。
「帰ったほうが良くない?すごい雨だけど」と言いながら彼氏を見送ろうとしたのだけど、エレベーターが動かない。
停電してないのに。
あれ?と思って、それでなんとなく階下を覗いてみたら、夜になっていたのでよくはわからないが、団地の広場も、道も、濁流だった。
悲鳴も聞こえて、木や電柱に捕まる人やらも、ぼんやりと見えた。
「これは、なんだ?」
呆然としてるところに、びしょ濡れの母がいきなり階段から現れた。

母曰く、だいぶ先のバス停で降ろされて、濁流をどうにかこうにか歩いてきて、家のあたりからは泳いで、団地の2階から階段を登ってきたんですって。
大通りの水流がすごくて、大変だったんだんですって。
全力で「この人、ランボーか何かか?」と思う私たちに、そして初見の私の彼氏に向かって母は言った。
「ご飯食べよう」

で、私がキャベツを千切りにし、味噌汁を拵え、母がカレーコロッケを揚げ、レンチンした白米を分け合って、3人で夜ご飯を食べた。
今日はここに泊まればいい、と言う母の言葉を制止し、やっぱり家に帰りたい、心配だし、と言う彼氏を(でしょうね)、バス停まで、濁流の中、一緒について行ったような気がする。
その頃には雨も収まっていたけど、履いていたスリッパは流された。
その後、彼が戻ってこなかった記憶から推測するに、バスがなぜか動いていて、無事に帰っていったんだと思う。
帰り道、不良少年たちが、団地の広場の辺りで泳いで遊んでいた。
今思うと、確かに、リアルな流れるプールではあったよね。

今、ちょうど、私は、そんな濁流を泳いで帰宅した母と同年代になっているのだけれど、あの中を泳いで、階段を11階分上がる体力なんて、さっぱりとなさそうだな、と思うのです。
挙句、揚げ物を食べようだなんて、絶対にない。

これが、私の9月11日の二つの記憶。

そして老いた母にいまだに言われるのが「あの人と結婚したらよかったのに」なのだが、それは確かに、そうだなあ、と思う。
もしそうなっていたら、今頃どんな人生になっていたんだろうね。

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