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【備忘録】公募略歴

 思えば、私が筆を取った若かりし頃から随分と時間が経ちました。過去のどの時期に何を書いているのか、一度ここで自分の公募歴を振り返ってみようかと思います。

 ただの備忘録としてのメモ書きになるので、興味があるという変わり者の皆さんのみ読んでもらえたらと思います。


開幕戦 ~第19回電撃大賞~

 私が初めて公募というものに挑戦したのは第19回電撃大賞でした。高校生の頃、友人から勧められて読んでいたライトノベルが電撃文庫だったので、名前は知っていました。

 まさかそこへ自分の作品を送ることになるとは思いもよらず。大学生の暇な時間を当てて、2つの長編作品を送り出しました。

 結果は二次落選、三次落選。まさか初めての小説で予選を通過するとは。HPの一覧表に載る自分の名前を見て、ひどく興奮したことを覚えています。何者でもない自分が認められたような、そんな喜びから兄に電話をかけて超絶早口で喋りまくっていました。恥ずかしい。

 結局、この時の結果が今でも小説を書き続けている大きな要因になっているように思います。この結果を見て、自分には小説を書く最低限の資格が与えられたような気がしたのです。

 ちなみに、当時はまだ『畑_リンタロウ』という名前ではなく、別のペンネームを使っていました。ある意味、前世のようなものなので、ここではお話しせずに胸にしまっておきます。

2回戦 ~第20回電撃大賞~

 さて、前回の電撃大賞で味を占めた私は、今度は真面目にプロットを組みながら、頂いた講評を読み直して新作を書き上げます。

 当時はまだ真剣さなど全くないふざけた大学生だったので、時間のある時に筆を取っては書き足すといういい加減なスタイルでした。

 それでも小説家になったら就職はどうしようか、印税で暮らしていけるだろうか、などと甘い考えが駄々洩れな妄想をしていたのを覚えています。

 本当に社会というものを舐めていた大学生時代でした。あの頃にデビューでもしようものなら、とんでもないクズになっていたことでしょう。ありがとう神様、ありがとう電撃編集部様。

 1年という助走があり、しかも暇しかない大学生であるにも関わらず、応募した作品はたったの1作品でした。その結果は三次選考落ち。悔しさはあれど、納得の結果でした。

 ここまで、書いた作品は3作品。すべて鬼門の一次選考を通過するという運の良さもあり、自分には小説は向いているという錯覚が芽生えます。

 しかし、ここから卒論研究で忙しくなり、大学卒業後に海外赴任になったりとプライベートが忙しくなり、執筆活動から遠のいていきました。

復帰戦 ~第14回GA文庫大賞(前期)~

 時は流れ、八年後。公募歴だけ見ると随分と時間が空きますが、その間にも多忙な時間の合間を縫って筆を取ってはいました。

 しかし、超ニッチな専門職の技術習得や、謎の言語の習得、金髪美人とおしゃべりしたい欲望となんか仕事で使うので始めた英会話など、リアルで役立つスキルの習得に時間を費やしていたので長編執筆は遅々として進みませんでした。

 八年間ですっかり小説への熱はなりを潜め、逆にキャリアを積むこととスキルの習得に楽しさを覚え始めていた時期です。人生はリアルRPGですからね。やればやるだけ楽しくなります。

 そんな時、ひょんなことから手に取った本がきっかけで、自分の人生について考える時間が出来ました。自分が何に対して情熱を持てるのか、どんな人生を送りたいのか。それを必死に考え続けること、約一ヵ月。ここで小説を書くという夢を思い出します。

 そして今まで知らないレーベルでもあったGA文庫大賞を発見します。年2回の公募、電撃大賞への応募を考えると組み合わせとしても規模としても申し分ない。

 多忙な社会人ですので、徹底した時間管理をしながら八年ぶりの公募勢復帰を果たします。

 なかなかに重い筆でしたが、1作品を書き上げて投稿。結果は三次落選でした。復帰戦としては悪くない結果です。講評もいただき、ご満悦でした。

4回戦 ~第14回GA文庫大賞(後期)~

  さて、ここまでくると割と本気で執筆活動に邁進しはじめます。限られた時間、少ないリソース、乏しい表現力。状況はさながら縛りプレイですが、制限されている方が戦い方は見出しやすいものです。

 それこそ、人生はPRGゲームと同じ。敵を分析し、自分の持てる能力を理解し、長所を伸ばす方法を見つける。あとはひたすらレベル上げ。ソウルシリーズをやりつくした私には、現実世界もただの『アノール・ロンド』です。あぁ、楽しい。

 あれこれ考えても、結局やるべきことはシンプルでした。

 『ひたすら毎日書くこと』

 それだけです。使い慣れないTwitterを始め、毎日誰にも求められていない作業進捗を投稿し始めます。これは公募に復帰するきっかけとなった本の著者が話していた『バンド理論』というものでした。

 一人では継続は難しい。でも誰かから見られていると、人間は継続する事が出来る。ざっくりと要約するとそういう事です。

 締め切りまでの間に3作品を仕上げ、投稿する事が出来ました。結果は一次落選、二次落選、三次落選。見事な階段落ちです。

 ここで初めて一次落選という経験をしたような気がします。以前にもどこかで落選したような気もするのですが、どうだったか。とにかく、はっきりと覚えている落選はこのタイミングでした。

 選考を通過するよりも、落選したほうが得られるものは多い。浮かれて、通過した選考結果ばかりに目が行きがちです。ですが重要なのは、なぜ落ちたのか、どこがいけないのか。冷静に見つめ直して分析する事でした。

 ここで得られた経験は必ず自分の糧になります。何度落選しても、再び立ち上がりさえすれば、それは失敗ではなくなるのです。

 何故落選したのか、その辺の色々に関しては機会があれば書くことにします。

5回戦 ~第29回電撃大賞~

 そしてついにやって来た大舞台。電撃大賞です。約10年ぶりの再戦ですが、GA文庫大賞へ送った作品に注力するあまり、電撃大賞向けの新作は作成が追い付かず。いわゆる使いまわし応募となりました。

 確か、送ったのは3本か4本の長編作品。そのうちのひとつは、当時の自分が持てる力を出し切った作品でした。これで駄目なら仕方がない。そう思いつつ結果を待ちます。

 そして結果発表。私の作品はすべて一次選考落ちでした。

 さすが電撃大賞。私の始まりであり、多くのワナビたちの憧れの舞台。ここに集まる作品はかつて自分が挑んでいた10年前とは異なり、応募作品のレベルが格段に上がっていると感じました。

 落ち込みはすれど、逆に燃える。自分と同じように執筆活動を続ける仲間たちは、10年という歳月の中でここまでレベルを上げているのか。ならば、自分も追いつこう。そして一緒に予選通過のお祭りに参加するのだ。

 そういう気概になりました。やはり仲間は大切です。独りでは心が折れていたかもしれません。

6回戦 ~第30回電撃大賞~

 さて、やる気スイッチに火が付いたと同時に、本業が忙しくなってしまいました。とある事業の責任者になり、毎日経営層と現場の間で調整をする日々。いわゆる中間管理職です。肩書は部長でしたが、威張れるはずもなく、必死に駆けずり回りました。人生でこれほど頭を下げて回った時期はありません。

 ストレスで眠れず、執筆に当てる時間も気力も残らない。新規の作品を一から書き上げる事が出来ず、目標としていた第15回GA文庫大賞(後期)の締め切りにも間に合いませんでした。

 日々の日課で上げていたTwitterの報告も止まり、このままでいいのだろうかという迷いが生まれ始めたころ。第30回電撃大賞の応募締め切りが迫っていることに気が付いたのです。

 もはや今日が何日なのかも分からないほどに多忙な生活。電撃大賞の文字を見て、自分が目指していた生活はここにはないなぁと改めて気が付きました。

 もともと、本業は独立を目標にキャリアを積んできたので、このタイミングで会社を辞めることを決意。締め切りに間に合わせるように過去作品の中で、一番思い入れのある作品を手直しして送り出します。

 実はこの時、送り出した作品には申し訳ないですが、ただの記念受験のようなもので本気で賞を取りに行くつもりは微塵もありませんでした。

 せめて一次選考に残ればいいかな。そのくらいのつもりで、来る第16回GA文庫大賞(後期)に向けて新作を仕込み始めていたのです。

 それがなんて事でしょう。あれよあれよと選考を突破し、現在では四次選考を突破。最終選考の結果を待っている状況です。


まとめ

 こうして振り返ると、思ったより応募歴は浅いですね。使いまわしをあまりしていないこともあり、そういう形になっているのでしょう。とはいえ、使いまわしはしたほうが良いですよ。

 今まで書いて応募した作品は約10本。

 途中で頓挫した作品を含めれば20本ほどです。文字に直せば200万文字くらいですかね。それだけ書けば、ど素人でもある程度の形にはなる様です。

 とはいえ執筆活動に終わりはなく、私も気がすむまで書き続けることになるでしょう。結果が伴う伴わないに関わらず、これからも書き続けられるように励みます。

 どうぞ、執筆仲間のみなさんも仲良くしてやってください。

 今回はこんなところで。長文駄文を読んでいただき有難うございました。またの機会がありましたら、よろしくお願いします。

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