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「私は私でしかない」という諦観を原点として生きる。

先日、メタ認知の為にインスタのストーリで問いを投げた。

「私という人間を一言で表すと?」

ありがたいことに、各方面から色んな言葉をもらった。(協力してくださった方々、ありがとうございました。) ちょっと笑ってしまったのは、一言と書いているのに、二言三言とくれる人が大半だったこと。何ならエピソード付きで送ってくれる人もいて「次会う時にはアンパンマンチョコでも買ってあげよう」って思った。(愛おしい)

返信をくれた人で言うと、「大学生時代、周りが引くほど泣きながら大喧嘩した人」や「中学生の時にほんの数ヶ月だけ付き合った人」とか、「2日間だけコーチングを担当した後輩」等、自分で頼んでおいて言うのもおかしい話だけれど、「この人から返信がもらえるなんて」みたいなケースが多々あった。想定外の出来事はなかなか心が動かされるもので、この人達には「ハーゲンダッツを買ってあげよう」と思った。その他にも「会社の同期」であったり、「大学時代の親友や後輩」「中高時代の部活の後輩」等、時間軸関係なく色んな人が返信をくれて、私はなんて温かくて優しい世界線で生きているんだろうとしみじみとした。

実際にもらった言葉は様々だった。

「優しい」「冷静」「正義感」「初志貫徹」「夢想家」「挑戦」「芯が強い」「淡白に見えて情熱がある」「悩みを受け止めて的確なアドバイスをくれる」等。相対する人との関係性によって異なるものではあるけれど、どれも大きな違和感はなかった。

そもそも、なぜ「メタ認知」をしようと思ったかというと、会社の上長に「自分の特性の理解をした方がいいよ」と言われたのがきっかけ。事の本質は、特性を理解することによって「状況に応じて自分自身をコントロールできるようにならなければいけない」ということ。

例えば、初志貫徹。「初めに心に決めた志は最後まで貫く」という意味を持つが、逆手に取れば「志に反するものに遭遇した際には融通を効かせることが難しい」という風にも捉えられる。理想は自分の思いを遂げられるまでやり切れることであるが、そう全部が全部上手くいくはずもない。その為、志を曲げることを余儀なくされる状況とは何か、その状況下に置かれたとき、自分自身にどんなインパクトがあって、それをどう感じて、どんな対応を取れたらいいのか等を考えられるようにしておかなければいけない、みたいなこと。

変化の激しいこの時代に適応して生きていく上ではとても大事なこと。大事なことのはずなんだけれど、どうもこれが息苦しくて仕方がない、というのが最近のちっちゃな気づき。

なぜ息苦しいんだろうと考えたら、それはきっと「私は私を失っている」と考えてしまっているから。コントロールするということは、「私が私であることを示す特性」に手を加えるということ。先ほど例に挙げた「初志貫徹」も然り。私はこうしたいという思いがあって、それを遂げることこそ本望なのに、結局のところ外部環境に依存して生きているから、環境次第でその志を曲げるという行為が生まれたりする。要は、「私はこうしたい!でも、できない!」となって、結果「そんな私は“私”と言えるのか?」みたいな状態に陥る。

こんな状態を見て「そんなこと考える暇があるなら、本の1冊や2冊読みなよ」と言いたくなる人もいるのかなあと思うけれど、そんなことは自分でも分かっている。誰よりも自覚しているから、せめて少しの間だけでもそっとしておいて欲しいと思ったりする。

話は戻って、きっと今の私に必要なのは、特性の実態が変わってしまうような状況でも「私は私でしかない」という諦観を原点として生きること。コントロールするのは成長する為にやっていることであって、根本の私という部分にプラスな影響を与えるということ。生きやすくしているだけのこと。

どれほど息苦しくても、社会という自分自身では操作の仕様がない膨大で理不尽なものの中で生きる以上は腹を括るしかない。息苦しいけど、その息苦しさ無くして生きやすさは手に入れられないのかもしれないなあとも思ったり。







「私という人間を一言で表すと?」については引き続き募集しているので、気が向いたら是非お願いします。アンパンマチョコあげます。

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