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昭和の映画

テレビが大型化し、ネット配信が進んでいたりと映画館離れは加速するばかりのようだ。

小学生だった頃に住んでいた片田舎の町では、後にも先にも、映画館はただひとつのみ。
老若男女の憩いの場として欠かせない大切な場所だった。

当時住んでいたこの町の小学生たちは、映画は個人でというより、課外授業の一環として先生に連れられて行くことのほうが多かった。
映画は、遠足よりも学芸会よりも地元のお祭りよりも子どもたちを興奮させた。
当日、教室に集まった時から「昨日は嬉しくて眠れんかったー」「今日の映画は何だろうね?」と、あっちでもこっちでも大はしゃぎ。

先生に引率されてゾロゾロと映画館へ向かう。

分厚い扉の向こうに広がる、特別な空間。
薄暗くて、シンと静まり返っていて、独特の匂いがしている場所。
映画が始まる前からワクワクが止まらない。
「みんな良いですか?もうすぐ映画が始まるから、それまでおとなしく席についてるんですよ!」
いつもなら、所かまわず大騒ぎする子ども達だが、映画館に連れて来られると何故かみんな急に無口になってしまうという不思議。

しばらくすると、この時代ならではのモノクロのニュース映像が流れ始める。お目当ての映画を観るためには、この退屈な時間もじっと耐えなくてはならない。

そして、いよいよ本編の始まり!

映画のタイトルがスクリーン一杯に映し出された瞬間、子ども達の間から割れんばかりの拍手が巻き起こる。

戦いのシーンともなると、「やっつけろー!」「負けるなー!」「そこだっ!そこー!」戦っている怪獣の雄叫びがかき消されてしまうレベルの声援が飛び交う。
完璧なる感情移入。
「推し」の怪獣が負傷する場面では、涙ぐむ子まで出る始末。

終盤、激しい戦いの末に正義の味方が予定通りの勝利を収めると「やったーーー!」と、そこら中から歓喜の声があがる。
そして、エンドロールが流れ、スクリーンにデカデカと「終」の文字が映し出されると、子ども達は居住まいを正し、再び大きな拍手。

緊張と興奮に包まれた一日
みんなが小さな幸せを共有した一日

実際にそこに演者がいたわけでもないのに、手が痛くなるほどの拍手を送り、着ぐるみの怪獣の戦いに自らも参戦し、泣いたり笑ったり。


パソコンもゲームもない時代、自然の中で駆け回り、身の回りの物で遊び道具を作る。年齢も性別も関係ない縦社会の中で、協調性とか人を思いやることとか、教科書には書いてない、でも、社会に出た時に一番大事なことを学べる場所がそこにあった。

学校でのいじめは、いつの時代にもある。
しかし、少なくともこの時代には、人間としてやって良いことと悪いことのけじめだけははっきりとあったし、意味もなく自分の都合だけで人を傷つけてはならないという暗黙のルールもあったと思う。

私の記憶の中の、ガキ大将やワンパク坊主は、ちょっと乱暴で、でもどこか憎めなくて、時には、正義の味方になったりもする…愛すべき存在だった。


学校の授業が、受験のための勉強と位置づけられるようになり、主要教科に重点が置かれ、道徳的なことを教える機会がどんどん削られていき。

学校教育のせいなのか
親の躾のせいなのか
漠然と、時代や社会のせいにしているだけでは、何も変えられない。
昔は良かった!というばかりでは何の足しにもならない。
せめて、我が子や孫には「大切にしなければいけないこと」を地道に伝えていきたい。
昭和のこの素敵な時代を生きた人間にはきっとそれが出来ると思っている。


それはそうと…
当時観た映画は、「ガメラ対ゴジラ」「妖怪大戦争」「大魔神」というラインナップだったのだが、教育の一環で見せるんだったら、もうちょっと違う選択肢もあったような気がするよね(笑)


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