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テレビがなけりゃ本を読む

制作をしている時、全くの静寂だとかえって集中が出来ない。
音楽を聴きながら…もありだが、テレビをラジオのごとく「テレジオ」的に聞きながらというのも結構好きだ。
ジャンルには特にこだわらず、何かしら「音」がしていれば良い程度。

小学生の頃、テレビは1日に2時間だけと決められていた。
出来ることなら一日中でもかじりついていたいほどテレビを愛していたが、母の「テレビは百害あって一利なし」という教育理念には到底太刀打ちできるはずもなく、2時間ルールに従うのみだった。

中学生になったある日の事。
学校から帰っていつものように「さあ!テレビを観るぞ!」と茶の間に行くと…
そこにあるはずのテレビが忽然と姿を消していた。


あまりの衝撃に「お母さん!大変!テレビがないよ!」と大慌てでと言うと、母はとても冷静に「ああ、テレビね。今日、○○さんが来てたから、帰る時に持って行ってもらったよ。」と言うではないか。

ありえない。

聞けば、日頃からテレビの必要性に疑問を持っていた母は、兄の勉強に差し支えるという理由でずっと処分したいと思っていたのだという。
で、たまたま遊びに来ていた親戚のおじさんに「テレビいります?」と尋ねたら速攻で「もらってよかとね!?」と大喜び。その日のうちに持って帰ったという。(そりゃあそうだろう)
私に何の相談もなく、よくもまあそんなことを!と、思ったが口に出せるはずもなく。
ただただ悔しくて部屋の隅で大泣きしたことを覚えている。

それから3年もの間、家にはテレビがなかった。


当時、中学生だった私。友達との朝の挨拶は「ねえ!昨日の〇〇見た?」だった。
思春期の乙女にとって、家にテレビがないなどということは口が裂けても言えないこと、決して誰にも知られてはいけないことだったので、如何に隠し通すかということだけに全神経を集中していた。

友達とテレビ番組の話題になると「あーあれね!面白かったよね!」等と、その場その場で適当に話を合わせながらやり過ごす日々。いくら必死だったとは言え、よくもまあバレなかったものだ。


そんなこんなで中学3年になったある日のこと。
朝の挨拶を終えた先生が「みんな昨日のテレビ観たかな? 横井庄一さん!ほんとにビックリしたよね!凄いよね!今日はこれから、みんなに横井さんについて思ったことを書いてもらう時間にしようと思います。」と言いながら、原稿用紙を配り始めた。

「いや、みんな…テレビ観たかな?」って言われても。観てないし。そもそも家にテレビないし。
って言うかさ、その「横井庄一さん」て誰よ? スゴイって一体何がどうスゴイの???
こんな事なら、せめて新聞ぐらい読んどけばよかったと後悔するも時すでに遅し。原稿用紙を前に絶体絶命の私。この危機をどうしたら突破できるのか?

先生に、こっそり「実は、家にはテレビがないんです。」ってカミングアウトして助けを乞うとか、急にお腹が痛くなって保健室に逃げ込むとか。泣きそうになりながらふと、隣の席の男子に目をやった時、閃いた!

「ごめーん。消しゴム貸して~」と、柄にもなく可愛い子ぶりっ子モードで話しかけ、その子の原稿用紙をチラ見。
あれこれ口実をつけながら何度か繰り返し、横井庄一さんに関する大まかな情報を収集することに成功!後は、自分なりのアレンジを加えて何とか原稿用紙を埋め、危機脱出!


ふふふ…思わぬところで図書室通いが役に立った。
本を読み漁っているうちに文章力もそれなりにアップしたようだ。


テレビのない3年間。
最初のうちは、兄の事ばかり優先して!と母を恨んだり拗ねたり、子どもらしい反抗をしていたが、そのうち、テレビを観て漫然と過ごしていた時間を、他のことで埋めることに意識が動き始めた。

取りあえず、本を読んだ。元々、本は好きな方だったが、それまではごく「普通」だったのが、テレビがなくなったことで、「異常」に読むようになった。
毎日、学校の図書室へ通い、片っ端から借りて来ては読みふけった。
図書カードは貸し出しのスタンプで埋め尽くされ、読書数のグラフでは常にトップ3に輝き、先生や友達から「すごいね!」と褒められる思いがけない展開。
もはや、テレビがないことに引け目を感じることが馬鹿らしくさえ思えていた。


本を読むことで、様々な知識が増えていくことがたまらなく魅力的だったし、イメージの世界を無限に広げていける楽しさも知った。

もし、この3年が無かったら今の創作活動はもっと違ったものになっていたのではないかとさえ思う。

パソコンやスマホの普及で、活字離れが急速に進んでいるといわれる今。
変換に頼ってしまうことで漢字が書けなくなってしまっていることを痛感することも珍しくない。

忙しさを言い訳にせず、もう少し本に触れる時間を持たなければいけない!そう自分に言い聞かせながらも、今こうしてスマホを脇に置きせっせとキーボードに向かっている私。
脳細胞が生きてるうちに何とかせねば!


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