Memory Train「急行筑紫」

「10分停車らしいから、ひげ剃ってくる」
そう言って父は急行「筑紫」から降り、岡山駅ホームの洗面台に向かった。時刻は夕方5時頃だった。冬のしかも正月の夕方5時といえばもう暗い。その分、ホームの蛍光灯は明るすぎるくらい明るかった。

昭和31年、私たち家族四人は、山口県下関から海上安全の御利益があるといわれる兵庫県加古川の「白旗観音寺」に向かっていた。父は船に関係する仕事をしており、一念発起して正月に参詣することにしたようだ。
 
「10分停車らしいから」。それは父が言ったのか母が言ったのか。わからない。でも確かにそう聞いた気がする。それに急行「筑紫」といったが、それも定かではない。「筑紫」を利用して郷里の徳山に行くことがたびたびだったため、今回も「筑紫」だろう、と思っているにすぎない。

調べてみると急行「筑紫」は下関駅10時12分発。博多発東京行きだ。10時12分の列車をなぜいつも利用していたのか。それの理由もわかった。父の仕事は午前2時ころから始まり、8時には一息つく。だから乗る列車はおのずと決まってくる。急行「筑紫」だ。
 
昭和31年頃には山陽本線には一日に特急が二本(昼行一本、夜行一本)と昼間急行も二本だ。時間を有効利用するには「筑紫」しかない。さらに調べてみると「筑紫」の岡山到着は午後5時45分。岡山発は5時55分。確かに10分間停車している。やっぱり父か母かが「10分停車らしいから」といったのだ。
 
午前2時からの仕事の前に剃っていたひげもすっかり濃くなっていただろう。あと1時間半で下車予定の姫路だ。その前にさっぱりしたかったにちがいない。長距離列車や夜行列車がいまよりも多く走っていた昭和30年代の主要駅のホームには、父がひげ剃りに使ったような洗面台がいくつもあった。
 
長距離列車を牽引する蒸気機関車は石炭や水を補給する必要があり、いくつかの駅で長時間の停車を余儀なくされたのだろう。新幹線の延伸とともに長距離列車や夜行列車は次第に姿を消し、洗面台もホームから消えた。長旅のひげをそり落とした男たちも、やがて三々五々静かに消えていった。

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