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Memory Train「3つの味」

徳山に行く時は、子どもだけだったら普通列車の3等車。くすんだあずき色の車体には鋲がいっぱいに打たれていた。車体の中央には白くⅢのマーク。家族で行く時も3等車だったが、列車はいつも急行「筑紫」。下関駅発10時12分。徳山まで普通列車なら3時間だが、急行は2時間半。11時半頃に小郡に停車する。ここでのお楽しみは「駅弁」。買うのはいつも、今でいう松花堂弁当だ。 で、これがじつに旨かった。おかずは卵焼きに、サバの塩焼き、かまぼこ2切れくらいで通り一遍だが、はっきりと覚えているのはご

    • Memory Train「食堂車」

      本州の西の端の町に住む人にとって、長距離列車は都会の空気を乗せてやってくる「文化」だった。特に食堂車は田舎の町にはない「匂い」が魅力的だった。牛脂の匂いと冷房で冷やされた空気が混じった、少し重く感じる匂い。都会の匂いだ。下関にはそのような匂いのするレストランはない。時刻表をみれば列車食堂の運営欄には「都ホテル」「帝国ホテル」の名が見える。どちらもどんなホテルなのか当時はもちろん知らない。しかし子どもの想像力を刺激するには充分だった。 食堂車では車掌が帽子を取って、うやうやし

      • Memory Train「日豊線 旧一等車」

        ある時内田百鬼園の随筆『阿房列車』シリーズに、一等車の記述を見つけた。その本が今は手元にないので、内容を正確には記せないが、たしか「用もないのに仙台にいってみよう」というものだった。百鬼園は奮発して一等車に乗る。この一等車がベンチシートなのだった。一等車がなぜベンチシート?と思った。ベンチシートが一等なら山手線はみな一等車ということになる。一等車がなぜベンチシートなのだろう。 考えてみれば列車は座席(ボックス)の列で構成されている。二等車は三等車にくらべ幾分ゆったり目の配列

        • Memory Train「糸崎行き 普通列車」

          山陽本線沿線でどこが好きですかと問われたら、ふたつあげられる。ひとつは岩国柳井間の由宇や神代のあたり。ここは列車がまるで海の上を走っているのではないかと思わせるほど、汀を走る。東京発の夜行寝台で来ると、ここで夜明けを迎え、明け方の静かな瀬戸内海の美しさを堪能できる。もうひとつは防府―徳山間にある「富海」あたりだ。富海は、とのみ、と読む。車窓から見える砂浜が晴々と気持ちいい。  海沿いを走るイメージの山陽本線も、沿線の住宅化で海はどんどん遠くなっている。東海道本線もそうだ。海

        Memory Train「3つの味」

          Memory Train「寝台特急あかつき」

          東海道線下り寝台特急は尼崎駅を過ぎると、急に右カーブを描き始めた。後になってそれが福知山線と知る。福知山線の存在は知ってはいたが、その始点の一方が尼崎とは知らなかった。図らずも私をそのルートに導いたのは阪神淡路大震災だった。 大震災が起こったのは1995年1月17日午前5時過ぎ。東京にいた私は連休明けに提出する仕事をまとめるために前夜から起きていた。まとめが一服してTVをつけたところ、真っ暗闇の映像にNHK記者のうわずった声がかぶった。 「先ほど大きな揺れがありました。私は

          Memory Train「寝台特急あかつき」

          Memory Train「準急ひかり」

          昭和30年代というのはなぜあんなにも混んでいたのだろう。休みになれば映画館は場内のドアが閉まらないほど客が詰めかけたし、例えば別府温泉などいまでは考えられないほどの人々が押し寄せた。家族旅行と言えば別府、会社の慰安旅行といえば別府。山口県の西の端、下関はそういうところだった。また、会社の慰安旅行といえば家族同伴が通例だった。だから社員5人の会社でも総勢30人近くなることもあった。 こうして多くの人々が正月などに別府に集中するものだから、道中は大変なことになる。特に帰りが。行

          Memory Train「準急ひかり」

          Memory Train「特急かもめ」

          山陽本線で一本だけの昼間特急「かもめ」に乗ったのは、何歳の頃だったのか?5歳?6歳?学齢に達した夏休みか、春休みか、冬休みか。暑かった記憶も寒かった記憶もないから春休みだったかもしれない。 下りの「かもめ」に乗った駅は覚えている。降りた駅は覚えていない。乗った駅は岩国だ。岩国には母の妹が帝国人絹(テイジン)に勤めるサラリーマンと結婚しており、母と私たちは、おそらく徳山に出かけた折に、岩国まで足を伸ばしたのではないか。あるいは姉妹の父親の実家が徳山と岩国の中間、岩徳線の高水に

          Memory Train「特急かもめ」

          夏休みが終わる。自由研究が終わらない。

          小学生のころ毎夏これに悩まされ続けた。8月20日あたりからソワソワし始め、テーマを何にするか考え始める。ぐずぐず迷っているうちに25日になり、26日になる。そして29日。2学期の始業式まであと3日でやっとテーマが決まる。そうだ、貝を集めよう。 海も近いし、貝ならなんとかなるだろう。29日、夏の終わりの冷たい小雨の中で採集決行。うつむいて砂浜を歩く。こんな少年を誰かが見ていたらなんと思うだろう。「なくした鍵を探してるの?」「お金落としたの?」。まさか少年が探しているのは夏休

          夏休みが終わる。自由研究が終わらない。

          Memory Train「急行筑紫」

          「10分停車らしいから、ひげ剃ってくる」 そう言って父は急行「筑紫」から降り、岡山駅ホームの洗面台に向かった。時刻は夕方5時頃だった。冬のしかも正月の夕方5時といえばもう暗い。その分、ホームの蛍光灯は明るすぎるくらい明るかった。 昭和31年、私たち家族四人は、山口県下関から海上安全の御利益があるといわれる兵庫県加古川の「白旗観音寺」に向かっていた。父は船に関係する仕事をしており、一念発起して正月に参詣することにしたようだ。 「10分停車らしいから」。それは父が言ったのか

          Memory Train「急行筑紫」