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飢えるバルセロナ、クラシコ勝利の意味。

ここ2年のバルセロナは、早朝から観るのに気力と体力を要した。

タイトルに恵まれなかった訳ではない。昨シーズンは国王杯を獲得している。結果が何年も出ていないなどの実績部分では、むしろそこまで悲惨な状態ではない。

身が引き裂かれるようなことが多すぎた。

不穏な空気を如実に感じたのは、2020年7月のアルトゥール放出を端に発する「哲学を捨ててカネを取った」と揶揄されんばかりの立ち回り。
当時バルセロナのDNA喪失問題がピッチ上に噴出する中、希望とされる選手の放出に呆然とした。

一方で、お財布事情がギリギリなことはアニュアルレポートを見れば明らかだった上、クラブの獲得戦略が意味不明な方向へ走るのは毎年の事なので、「また始まったか」感も否めなかった。
いつの日かどこか流してしまえそうな、最悪何とかなるだろうという楽観的思考。

さらなる瓦解が起こったのは本当に束の間だったが、体感時間は経過より数倍長かった。

クラシコは当然のごとく勝てない。
試合展開はかなり単調になり、その場しのぎで攻撃し、個の力と質的優位の瞬間風速で乗り切る。
組織力はおろか、クロスと意味不明なフォーメーションのせいで哲学がいよいよ錆びついて見えてはいたものの、バルセロナはなんとか勝ちを拾えていた。

そうした中バイエルンに8-2で粉砕され、レンタルしているコウチーニョにも決められたとき、バルセロナの現在地を教えてくれたことに安堵さえ覚えた。
クラブの目が覚めるような出来事を渇望し、それがバイエルン戦であってほしいなどと、変化の兆しを他に頼るようにすらなっていた。

いつか悪夢から目覚めてくれるはずだと信じていたが、緩慢な試合展開に慣れ、次第に「今日は負けないといいなあ」と思いながら深夜と早朝を過ごすようになる。

そして、唐突にメッシを失った。

メッシが出ていく報道を、本人の口から何か聞くまで信じることなどできなかった。
念願のコパアメリカを獲り、感極まる彼の姿を見ておめでとうでいっぱいだったムードの中、あり得ない文字面に息が止まりそうになった。

「去年は出ていこうとして出られず、今年は残ろうとして残れなかった」と、涙を流しながら話す彼の姿を、自分は死ぬまで忘れられそうにない。クラブ史上最高の選手には、史上最高の見送りが必要だった。今でもそう思う。

「本当にどうしようもない。会長職に就く以前に聞いていた話よりも財政状態が悪い」
ラポルタの言葉で現実を突きつけられる。
ここまで爛れ、崩れ、もはや修復不可能ではないかと絶望したこともない。

バルセロナが勝てないことに麻痺し、勝ったことに胸を撫で下ろすようになっていた。
その矮小な気持ちを支えていた最後の楔が、突然抜かれて放心した。

メッシがピッチに居ないことにまだ慣れないうちに、
シャビが戻ってきた。

期待値は当然、今までの監督とは比にならない。
しかしそれを覆い隠すようなリスクが頭の中をよぎる。
「シャビが失敗したら、後がないのではないか」
「これで変わらないなら次はあるんだろうか」
彼が来たからと言って成功するとは限らないという心構えみたいなものが風潮となり、なんとなく界隈を支配する。

ネガティブな心情に応えるかの如く、クーマン解任のタイミングが中途半端極まりない状況で引き継いだシャビは、始動直後に敗戦するたび好き勝手叩かれることになる。

極め付けにバイエルン戦で3-0で完封され、ミュラーに「バルセロナはトップレベルのインテンシティについて来られていない」とコメントされた。
事実を突きつけられる展開が続き、悪い風向きはなかなか変わらなかった。

ただ敬虔なクレは待った。
ペップバルサやMSN時代のような華やかで強いバルセロナを観てファンになった方々は特に辛いだろうに、彼の就任からわずか1ヶ月で結果が出せるわけがないと重々承知の上で、「それでもシャビなら絶対何とかしてくれる」と信じ、現状を尊重し、ただひたすら耐えていた。

シャビは、バルセロナの選手としての基盤と、哲学・戦術の浸透、技術の基礎徹底をひたすら叩き込んだ。

ペップ時代を彷彿とさせるような罰金復活をはじめとする規律とルールの施行、有利不利に関わらず継続するハイプレス、即時奪回からの保持とプレス回避、チャンスメイク、ルックアップ。

一つ一つ、確かめるように、思い出させるようにしながら試合を超え、シャビのバルセロナは週を経るたび確実に成長していった。
かつての仲間に指示をしながら、ときに議論するように、すり合わせるようにテクニカルエリアで動き、叫び、檄を飛ばす。

結果、選手らは今日までに別人と化した。
デヨングをはじめとするクーマン時代までに在籍していた若手は特に比較が容易ではあったが、オフザボールの動きやパスの捌き方、試合の捉え方、球際の強さなど、ゲームへ入る動きからクロージングまでの一挙手一投足に変化が見られた。

シャビのテコ入れもさることながら、アウヴェスを呼び戻しオーバメヤンまで引き入れ、各ポジションに1人はベテランを入れることで若手のプレーモデルとしているようにさえ見えた。
エリックガルシア、アラウホ、ペドリ、ニコ、ガビはスポンジのように吸収しながら成長し、試合によっては覚醒したと言っていい働きを見せる。

ベテランが紡ぎ、伝え、チームのコアとなる次世代が成長するよう組まれた組織づくりの中、バルセロナは1番大切なものを取り戻していった。

尽きない闘争心と、底なしの飢え。

今日のクラシコをはじめ、シャビが油断する姿を観たことがない。
得点シーンこそ全身で喜びを表現するも、引き続き大声で指示を出す。慢心は絶対許さない。
「集中していない、試合に出る準備ができていないなら今教えろ」とハーフタイムに言い放つほどに、試合中の気の抜けたプレー1つ1つに対して一切妥協しない。

一方で勝利に対しての賛辞を惜しまず、選手へ1人1人それを伝える。
アトレティコ戦でフィーチャーされたこの熱量が選手に届かないはずはなく、バルセロナは下を向くチームから闘える集団へと変貌し、強度を増していった。

局面の勝負で何としても勝つ闘志に加え、この数年で味わった辛酸と苦痛が敗北への恐怖と勝利への渇望を強くしている。

ビルバオに勝ち、アトレティコに勝ち、ナポリに勝ってきた一方で、今進むこの道が正しいと確信の持てる勝利がバルセロナに必要だった。
それが今日のクラシコだった。

スーペルコパで撃ち合うも98分にバルベルデに得点を許し、2年強クラシコに勝てない事実が残り続けてきた。
リーガとして見ても、もはや首位レアルとの点数差は一撃でひっくり返るような数字ではない。

相手にとって重要度がさほど高くない試合で、こちらがマジになるのは肩透かしになるのか。

エル・クラシコを履き違えるくらいならサッカー選手を辞めてしまえと言ったプジョルの言葉は、ただの試合の枠でクラシコを語ることを許さない。

序盤はバルベルデの推進力とヴィニシウスの突破に押し込まれそうになるも、20分かけて適応し、ネガトラで前のめりになっている相手中盤の背後を一気に侵攻して先制。
コーナーから追加点を獲りつつ即時奪回で支配して前半をクロージング。
後半早々に数的優位を作ってフェラントーレスが追加点、そのフェランが同じく抜け出したオーバメヤンにアシストしてダメ押し。

得点のバリエーション、形ともにいずれも完璧である。近年のバルセロナからすれば満点以上な内容と展開。
あとは座して見ていても問題ないだろうとすら思ってしまう極上のスコア。

しかし、当のシャビは4得点後も叫び続けた。
彼の表情は、大量リードしている監督のそれではなかった。

もっと点が欲しい。もっと獲れるはずだ。まだいける。

大量リードしていようが、予断を許さない状況でチームのギアを下げることをシャビは善としない。底なしの飢えを、果てない闘志をチームに要求し続ける。
毎試合「出し切った」と言えるような、反省は残しても後悔はしない完全なプロフェッショナリズムを自分自身で体現し、求める。

それはクレがここ2年強の間、おこがましくも図々しくチームに求めたかった姿であり、何度も直接伝える立場にあればこうすると言い続けるほどに止まなかった想いの体現である。
このチームはそれに応え続けられるし、それが故にこのレベルまで来られた。

シャビ就任から4ヶ月が経った。
ボロボロの状態だった土に撒いた種が芽吹き、花開こうとしているチームがクラシコで完勝した。この短い期間にベルナベウを沈黙させるに至ったのは奇跡の再建と言って差し支えない。

バルセロナは今日の勝利を以て復活した。

そしてまだ強くなる。
シャビがベンチに座りっぱなしになる姿が、今は全く想像がつかない。

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