無精子症の私がdonor-conceived childrenの親になるまで(6) 海外での治療


ドナーによる治療の環境

私と妻は、ぼろぼろの状態のまま、それでも何とか準備をして、TESEから1か月もしないうちに日本を離れました。
このタイミングでの海外行きは大変でしたが、幸運でもありました。海外では、精子バンクが充実しており、精子バンクを使った不妊治療も一般的だからです。これに対し、日本では、旧厚生省の行政指導及び医学会の自主規制により、ドナー精子の利用が厳しく制限されており(実施までの経緯 | JISART(日本生殖補助医療標準化機関))(なお、本国会に提出予定とされている法案(精子・卵子提供で生まれた子「出自を知る権利」どこまで 法案提出へ:朝日新聞デジタル (asahi.com))は、そうした制限を、さらに理不尽かつ強固に変えるものです。)、例外的にドナー精子を利用した治療を行える医療機関でも、様々な制限があります。

ID開示ドナー

赴任先で利用可能な精子バンクを調べたところ、妻が見つけたある精子バンクは、ID開示ドナーを用意していました。
当該精子バンクのID開示ドナーの精子を利用した場合、成年に達した子どもが請求すると、当該ドナーの氏名・連絡先等の開示を受けられ、子どもがドナーに連絡できる仕組みになっていたのです。
私と妻は、子どものアイデンティティの形成なども考慮して、ID開示ドナーを利用することに決めてドナーを選択しました。
海外の精子バンクの良いところは、様々なドナーの情報にアクセスできるところです。人種・出身国・子ども時代と大人時代の顔写真・声のような外見的特徴、学歴・職業・趣味・筆跡などの社会的側面や個性、遺伝子検査の結果や親族の病歴のような医学的性質など、いろいろな情報を見てドナーをきめることができます。私たちは、健康なアジア系の若い学生さんのドナーを選択しました。

治療の失敗

ドナーを選んだところで、不妊治療ができる医療機関を探し、受診することになります。
そうはいっても、慣れない外国のことで、日本とは医療制度も保険制度もまったく違うし、医療機関の情報も全然手に入りません。他に頼るものがないので、インターネットでいろいろとレビューを見てクリニックを選びました。
結果は大失敗で、まともな知識も技術もなく、治療方針もいいかげんな、ひどい「やぶ医者」を選んでしまいました。
そのために、何か月もの時間と多額の貯金を無駄にしたばかりか、妻の心身に無意味かつ強い負担を強いることになりました。

苦しみ

妻は、強い薬の副作用に苦しみ、刺す場所がなくなるほど採血やホルモン剤の自己注射を繰り返して体を傷付け、通院のために旅行を諦め、物価高と円安の中で治療費を捻出するために貧乏学生以下の節約生活に耐えました。
一方で、妻は、子どもがいる友人や妊娠した友人との連絡を控えるようになりました。私は、妻から友人関係まで奪ったのです。
私の病気なのに私にできることは何もなく、私は、ただ、最愛の妻が、誰よりも幸せにすると誓ったはずの妻が、私のせいで心身ともぼろぼろに傷つき、苦しむさまを横で見ていることしかできませんでした。
妻には、何度も「ずるい」と言われました。
私のせいであることを棚に上げている自らの醜悪さを自覚しながら、それでも私のせいであることを棚に上げて、がんばろう、きっと次はうまくいくよと妻を励ますことしかできませんでした。
赴任先の日本人の友人には、子どもがいる人が複数おり、中には赴任先で子どもが産まれた人もいました。
子どもは神様からの授かりもの。子どもが産まれるのは奇跡。人々が当たり前に口にする、そうした言葉の本当の重さを、他の誰よりも知っていた私は、何のやましい気持ちもなく、彼らを心から祝福しました。
ただ、その人たちの幸せそうな姿はあまりに眩しく、生まれたばかりのベビーを見せてもらった夜、私は妻と泣きました。
私の頭の片隅には、いつも、私がアパートメントの上から飛び降りたら、私がいなくなったら、妻は苦しまなくてもいいのではないか、との思いがありました。でも、そんなことをしたら妻はもっと悲しむはずだと、私がいなくなったら妻はもっとおかしくなってしまうと、そう思い直して、何とかこらえていました。


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