無精子症の私がdonor-conceived childrenの親になるまで(4) TESE(精子採取のための手術)の実施まで


TESE実施の決定と転院

TESE実施の決定

 確定診断から約1ヶ月後、私は、Micro-TESE(精子採取のための手術。以下「TESE」)の可否の検討結果を聞くため、再度男性不妊外来を受診しました。
担当医は、カンファレンスの結果、私のTESEを実施することになったとして、TESEの日程を予約させてくれました。
私の希望は辛うじて繋がったのです。
そのときの病院帰りは、妻と、「はじめて、病院から良いニュースを持って帰れたね」と笑い合いました。

TESEのキャンセルと転院

ところが、TESE予定日の直前に妻がCOVID-19を発症し、翌日には私も発症しました。いずれも軽症でしたが、当然ながら、TESEはキャンセルになりました。
私が通院していた病院では、TESEの予約は数ヶ月先まで埋まっており、その頃には仕事の都合で海外に行くことになっていたため、再予約は諦めざるを得ませんでした。
日本でも高額な手術であるTESEは、赴任先の海外では文字どおり桁違いの費用が必要になります。出国まで残された時間も長くなく、TESEができる医療機関も限られていて予約が埋まりがちなので、TESEは諦めるしかないと思いました。
しかし、妻に叱咤されていろいろと医療機関を探したところ、運良く、出国に間に合うようにTESEをしてくれるというクリニックを見つけることができ、そこに転院することにしました。私の希望は、またも首の皮一枚でつながったのです。 

妻の退職

一方で、それまで休職していた妻は退職を決断しました。
もともとキャリア志向だった妻の性格からして、私には、退職という選択が望ましいとは思えませんでした(もちろん、家計的にも、私の身に何かあったときのことを考えても、妻が仕事を続けてくれたほうがいろいろな意味で楽だったこともあります。)。
ですから、私の遺伝子異常が発覚して妻が仕事に行けなくなり、仕事を辞めると叫んだときも、何とか休職という形に持っていったし、その後も、復職の可否について、妻や医師と相談してきました。
このときも、妻から退職しようと思うと言われた私は、なんとか復職するか休職を継続することはできないかと、妻の説得を試みましたが、妻の最後の一言で、私は、説得不能であることを悟りました。
妻は、「社内で周囲の人達が産休や育休を取って子どもを産み育てるのを見るのに耐えられない。」と言ったのです。
経済面やキャリア面での問題といった理屈ではなく、気持ちの問題なら仕方がない。もともと限界だった妻に、それでも仕事に戻れと言えば、妻は壊れてしまう。私には、何も言わずに妻の退職を受け入れることしかできませんでした。
こうして、私は、妻の退職を受け入れ、生まれて初めて、逃げ場のない形で、妻という他人の人生を背負うことになりました。妻の人生を背負うのはとても重く、自分の健康、家計、妻のキャリア等、将来の不安はとても大きかったですが、目の前に選択肢がない以上、将来の問題は将来に棚上げして、覚悟を決めるしかありませんでした。
妻は、私のせいで、それまで頑張って積み上げてきたキャリアがなくなってしまったことを恨んでいます。
それまで、心身を傷付けつつも努力してキャリアを積み上げてきた妻を、休職へ、そして退職へと追いやるとどめを刺したのは、間違いなく私なのですから、妻の恨みは、筋違いや逆恨みなどではない、ごくもっともなものです。私は、妻が仕事を続けられるようにできるだけのことをしたつもりですが、それは言い訳にはなりません。
妻が別のパートナーと結婚していれば、妻は、今頃、順調にキャリアを積み上げてダブルインカムを確保し、不妊治療の苦しみを味わうことなどなく、パートナーの子を自然に妊娠し、普通に産休・育休を取って、幸せで経済的にも豊かな家庭を築いたはずです。私は、一番幸せにしたいと願った妻に、普通の人と同じ幸せすら与えられなかったどころか、妻が必死に積み上げてきたものを奪い、人生計画を破綻させました。
妻の苦しみは、私がブライダルチェックを受けていれば、ただそれだけで防げたはずのものです。
妻の恨みは、私が一生背負うべき、自らの愚かさに対する当然の報いです。
ただ、一つだけ悲しいのは、妻は、私が何も言わずに妻の退職を受け入れたのは、妻の仕事やキャリアを軽蔑していたからだと思っていることです。

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