無精子症の私がdonor-conceived childrenの親になるまで(3) 遺伝子(Y染色体AZF-b領域微小欠失)異常の発覚


遺伝子異常の発覚

男性不妊外来の受診

 紹介先の総合病院の男性不妊外来は混雑していてなかなか予約が取れず、はじめて受診したのは、最初の検査から約3ヶ月後のことでした。
紹介先では、まず、原因を調べるための詳細な検査をすることになりました。健康保険適用の検査と適用外の検査を受けて、保険適用外の検査の高額さに驚きました。

遺伝子異常の発覚

検査結果を聞きに行くときは、妻も付き添いました。
コロナ禍のため、患者本人しか待合室に入れなかったので、妻には呼出しまで院内のカフェで待ってもらい、私だけが待合室に入りました。
呼出しを受けたので、妻にその旨を連絡してから先に診察室に入ると、医師は、妻を待つことなく説明を始めました。
染色体数、ホルモン値など、様々な検査結果の報告書を示され、説明を受けましたが、どれも問題がない内容でした。説明を聞きながら、これは閉塞性無精子症(精子を作る能力には問題がなく、単に通り道が詰まっているため、精子が出て来られない状態。手術で比較的容易に治療可能。)の可能性が高いという診断かなと、少し安堵しました。そうした前置き的で安心させるような説明が続いた後、妻が入室してから最後に示された検査結果報告書が、明るくなりかけた気分を一変させました。
Y染色体AZF-b領域の一部微小欠失、それが私の無精子症の原因だと特定されました。
Y染色体の一部であるAZF領域に欠失があると、精子を作る能力に問題が生じるそうです。AZF領域は、AZF-a、AZF-b及びAZF-cの3つに細分化されていて、AZF-c領域の欠失では精子が見つかる場合がある一方、AZF-a又はAZF-b領域の欠失の場合は、精子採取は絶望的とされています。
たった一枚の検査結果報告書のわずか一行の文言で、閉塞性どころか、非閉塞性の中でも治療の見込みがないことが確定し、私の希望は無惨に打ち砕かれました。

絶望と希望

絶望

検査結果は絶望的でした。それまで、まだ閉塞性の可能性が十分にある、治療の可能がある、と自分に言い聞かせてきましたが、とうとう言い訳ができないところまで追い詰められたのです。
検査結果の説明を受けた後、私と妻は、呆然としたまま病院から帰宅して、二人で大いに泣きました。それまで、不必要に心配させても仕方がないからと黙っていた私の実母にも、夫婦で泣きながら電話して、状況を説明しました。

残された希望

ただ、担当医は、私に一つだけ希望を与えてくれました。
担当医は、①通常、全く精子を作っていなければ男性ホルモンが異常値になるのに、私のホルモン値は正常範囲の限界値くらいであり、私の精巣が活動している可能性を示唆している、②AZF-a領域の欠失であれば全く希望はないが、AZF-b領域の欠失は珍しく、あまり研究も進んでいないことに加え、全部ではなく一部の欠失なので、上記のホルモン値とあわせて考えれば、精子採取の可能性がゼロとは言い切れない、③以上を踏まえ、カンファレンスにて、私のMicro-TESE(精子採取のための手術)を実施することを提案する、と説明しました。
無惨に打ち砕かれた私の希望は、なんとか首の皮一枚でつながったのです。

妻の休職

 私の無精子症が見つかる前から精神的に不安定になっていた妻は、私の無精子症発覚で余計に追い込まれていきました。
仕事を休みがちになり、有給をほぼ使い切り、あらためて精神神経科に通院しながら(相変わらず、私が無理やり通院させながら)、なんとか、騙し騙し、生活を続けていたのです。妻の精神状態がかなり限界に近かった(と私には見えた)から、何度も休職をすすめたけれど、妻は、キャリアに傷が付くことを嫌がって、頑なにそれを拒否してきました。
私の確定診断は、そんな妻のぎりぎりの精神状態にとどめを刺しました。
私の確定診断がついた翌朝、妻は、仕事に行かない(行けない)、もう辞める、と泣き叫んだのです。
自分のせいで、妻が大切にしてきたキャリアを潰すわけにはいかない。私は、何とか妻を落ち着かせよう、説得しようとしましたが、情けないことに、私の言葉は妻には届きませんでした。唯一できたのは、妻を無理やり病院に連れていき、通院していた精神神経科に飛び込むことだけでした。
どうみても限界だった妻は、医師に休職を要すると診断され、当該診断に従って休職しました。
休職後、妻のメンタルは、もともとかなり妻を追い込んでいた仕事を休んだこともあり、少しずつ安定していきました。それでも、妻はずっと辛そうで、時々、大泣きして荒れ、私には、いつも謝ることしかできませんでした。


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