無精子症の私がdonor-conceived childrenの親になるまで(5) TESE(精子採取のための手術)の不成功


TESEの不成功

幸せな1か月

転院先のクリニックでは、TESEに先立って検査を行いました。
新婚旅行の初日、クリニックから電話があり、検査の結果、精子があるのでTESEを実施すると伝えられた私は、妻と抱き合って喜びました。
新婚旅行からTESEまでの1ヶ月弱、私と妻は、私の無精子症が見つかる前のような、本当に晴れやかで幸せな気持ちで楽しみました。
後に、妻は、この幸せな1ヶ月弱は、私たちが普通の新婚カップルみたいに過ごせるようにしてくれた、神様からのプレゼントだったんだ、と泣きながら述懐しました。

TESEの不成功

事前検査の結果を受けて、私と妻は、気楽にTESEに臨みました。
ただ、少しでもTESEで精子が採取できる可能性が上がるように、私は、数か月前から、亜鉛等の精子に良いと言われるサプリを摂ったり、大好きだった入浴をシャワーだけにしたりと、できる限りのことをしました。
残念ながら、約2時間に及ぶTESEの結果、精子は採取できませんでした。
局所麻酔だったので、手術中は意識があり、採取が難航していることはよく分かりました。精子が採取できると信じて、待合室で待っている妻は、どれほど落ち込み、悲しむだろう。手術中、私の頭に浮かぶのは、そのことだけでした。私はどうなっても良いから、どれほど痛くても良いから、妻のために精子が見つかりますように。私は、ひたすら、普段祈らない神に祈りました。
そんな付け焼き刃の祈りも虚しく、精子が採取できないまま手術が終わり、私は、手術室から診察室に戻りました。
そして、妻を待合室から呼んで、二人で手術結果の説明を受けました。
手術後の経過観察中に診察室で食べた、妻から差し入れてもらったコンビニおにぎりが妙に美味しかったのが、なぜか印象に残っています。
後から聞いた話では、妻は、最初は、事前検査の結果を信じ込んでいたので気楽にスマートフォンを触っていたけれど、途中から、あまりに時間がかかるので、難航していることを察したそうです(精子がすぐ見つかった場合は短時間で終わるので、時間がかかる場合はTESEが難航していることが多いようです。)。そして、医師の説明を聞くまでもなく、診察室に入るなり、私の顔を見て、妻は結果を理解したそうです。私はよほどひどい顔をしていたのでしょう。実際、私は妻に申し訳なくて、まったく合わせる顔がありませんでした。逆に、もし精子が見つかったのであれば、きっと、どれほど術後の痛みが強くても、笑いながら妻を迎えたに違いありません

帰宅

手術後は痛みが強く、とても歩ける状態ではなかったので、しばらく診察室で休んだ後、クリニックの外でタクシーを捕まえました。
タクシーの中では、私も妻も妙に冷静に、今後のことを話し合いました。ドナー精子を利用するのか。その場合、私の親族に依頼するのか、それともドナーバンクを利用するのか。ドナー精子を利用できる医療機関はどこか。暗いタクシーの中、夜の街を眺めながら、私と妻は淡々と話し続けました。
タクシーが私の実家に着くと、出迎えに来た母が、玄関の外で泣きながら私と妻を抱きしめました(母には、手術の後、あらかじめ結果をテキストで伝えていました。)。
母に抱きしめられた私と妻は、そこで初めて泣いたのです。

絶望

はじめて無精子症が疑われてからTESEまでに、約1年が経っていました。
それまで、状況はどんどん絶望的になっていきましたが、それでも一筋の希望は残されていました。
1回目の検査では精子が確認できなかったけれど、2回目の検査では精子が見つかるかもしれない。無精子症だったけれど、閉塞性か、そうでなくても治療できるタイプかもしれない。AZF領域の欠失だったけれど、ホルモン値が良好なので精子がいるかもしれない。TESEがキャンセルになったけれど、別の場所でTESEを引き受けてくれた。
私たちは、綱渡りのように、辛うじてつながった、かぼそい希望を頼りに、なんとか歩いてきました。
そうして、精子があるからTESEをやろうと言われたとき、やっと希望がつながった、これまで歩いてきて良かった、と思いました。やっぱり神様は見ているんだ、とさえ思いました。
TESEの不成功で、そんな一筋の道が、ぷつりと途切れたと感じました。

親たちの反応

義両親の温かさ

TESE後、義実家に出国の挨拶に行き、そこで、義両親にも、初めて私の状態を説明し、謝りました。
義両親は、ただ、謝ることではないよ、大変だったね、と言ってくれて、私は、その言葉のありがたさに泣きました。もともと、義両親は、子どもができないなら離婚しろと言うタイプではないのですが、一般論としてはそのように言われても仕方がないことは分かっていました。
その後も、義両親は、僕のことを気遣って、落ち込む妻を何度も諭して、時には叱ってくれました。

父の謝罪とやり場のない思い

 TESE後、私は、母から事情の説明を受けたらしい父に謝られました。
確かに、私の無精子症の原因は父由来のY染色体の異常ですから、父が原因と言えば原因です。でも、遺伝子異常など、人の手の及ばない偶然ですから、父を恨む気にもなれませんでした。
私の無精子症については、誰かが、又は何かが悪いわけではなかったことは明らかだったので、誰かを恨んだり責めたりしてすっきりすることはできなかったのです。
ただ、自分が極めて不運だっただけだと、それでも生死や健康に関わる異常ではないだけ幸運なのだと、言葉にすれば当然の、どこにでもあるような不条理を、ただそういうものとして受け止めるほかありませんでした。
それでも、自分の行いを後悔する必要もなく、他人の行いを恨む理由もなかったことは、幸運だったと思います(あるいは、そう思いたいです。)。

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