無精子症の私がdonor-conceived childrenの親になるまで(2) 妻との出会い~無精子症の発覚


妻との出会い

もともと、私は、自分が無性愛者なのではないかと思っていた程度には、パートナーとの交際に興味がありませんでした。しかし、30歳が迫る中であらためて将来を考えたとき、自分が生涯独りでいられるほど孤独を好んでいるわけではないことに気付き、いわゆる婚活を始めました。
正直に言えば、私が本当に欲しかったのは子どもであり、パートナーではありませんでした。もちろん、パートナーをないがしろにするつもりはなく、パートナーにするからには、その相手を精一杯尊重し、その相手に人生を捧げるつもりでしたが、私の動機は、根本的に不誠実で歪んでいました。その不誠実さと歪みを自覚しながら、何食わぬ顔でパートナーを探し始めたのですから、より一層、私の歪みは明らかでした。
そんな私が、最愛の妻、(たとえ子どもができなくても)彼女と出会えたのだから私は世界一幸せだと心から思う妻に出会えた代わりに無精子症になった(正確には、無精子症と判明した)のは、ある意味で因果応報かもしれません。
そんな不純な動機から魑魅魍魎が跋扈する(というイメージの)婚活界隈に飛び込んだ私は、それにもかかわらず、人生最大の僥倖を得て、妻と巡り合いました。妻との出会いは、言ってしまえば、紹介で出会って意気投合した、というよくある話に尽きますが、それまで、(婚活を始めてさえ)パートナーの意味を理解していなかった私にとっては、世界を根底から揺るがす大事件でした。
意気投合した妻と私は、周囲に呆れられ、反対されつつも、わずか2か月ほどで婚約し、すぐに同棲を始めました。
同棲してますます意気投合した私と妻は、婚約からちょうど半年で入籍しました。

無精子症の発覚

妻が婦人科を受診するまで

入籍と前後して、妻は、時々、精神的に不安定になりました。いわゆるバリキャリの中でも優秀だった妻は、しかし、労働環境や職場の人間関係に恵まれず、心身ともにかなり疲弊していました。もともとPMSなりPMDDなりの傾向があったであろう妻の心身の不調は、特に生理前には相当ひどいものでした。妻は、時々、私を相手に荒れるだけでなく、仕事に行けなくなったり、仕事が手に付かなくなったりと、いわゆるうつ症状に近い、明らかに放置すべきでない精神状態になっていました。
私は、嫌がる妻を、無理やり病院まで連れて行きました。幸い、妻が過去にお世話になった総合病院で診てもらえることになり、妻は精神神経科に通院することになりました。
しかし、妻は、担当医と反りが合わなかったこともあって、いくら説得しても精神神経科への通院を拒みました。
私は、あれこれと妻を説得し、なんとか、PMSらしい症状を婦人科で診てもらうという形で、総合病院への通院を了承させました。

1回目の精液検査と無精子症の疑い

妻の婦人科への通院に付き添った私は、婦人科医から、将来、子どもを持つことを検討しているのであれば、私もあらかじめ精液検査を受けておくのはどうかと勧められました。
私は、男性不妊についてのごく基本的な知識は有しており、特に抵抗もなかったので、二つ返事ですぐに精液検査を受けました。
翌年から仕事の都合で海外に行く予定で、帰国時には夫婦とも30歳を過ぎてしまうので、何らかの問題があるならば今のうちに把握しておくほうが良いだろう、程度の軽い考えでした。精子無力症や乏精子症など、何か異常が見つかるかもしれず、そのときは不妊治療をしなければいけないとは思っていましたが、無精子症のことは頭にもありませんでした。
検査の結果を聞くための面談で、婦人科医は、患者であるはずの妻に対し、診察室の外で待つように言いました。私は、その意味を深く考えることもなく、「夫婦とはいえ、プライバシー性の高い検査だから結果は私だけで聞くものなのか。さすがに立派な総合病院だけあって、丁寧なものだ。」などと暢気に考えていました。
指示に従って妻が診察室を出た後、医師は、①私の精液中に精子が確認できなかったこと、②1回の検査で精子が確認できなかったとしても、体調の問題等の可能性もあるため、直ちに無精子症とは診断されないこと、及び③後日、再検査を行い、その際も精子が確認できなければ、無精子症と診断されることを説明しました。私は、愚かにも、その説明を、単に、体調が悪かったので今回は精子を確認できず、再検査になった程度のものと認識しました。
私は、医師から検査結果を妻にも説明してよいか尋ねられたときも、二つ返事で承諾して自ら妻を診察室に招き入れました。医師が妻にも同旨の説明をし、私が後日の再検査を予約したところでその日の診察は終了しました。
診察後、妻はオフィスに出勤し、私はコロナ禍の在宅勤務のために帰宅しました。
帰宅した私は、検査のことなどほとんどすっかり忘れて、いつもどおり夜まで仕事をし、妻からの退社を知らせるメッセージにも、いつもどおり、気をつけて帰ってきてね、などと返信しました。そして、いつもどおり、玄関で「ただいま」と言う妻の声を聞いて妻の帰宅を知り、玄関まで迎えに行きました。玄関で靴を脱いだ妻は、両手にスーパーのお惣菜が山ほど入ったレジ袋を抱えていました。私は、やっぱりいつもどおり、仕事が忙しくて夕飯を作れなかったから買ってきてくれてありがとう、疲れたでしょう、すぐにご飯にしようね、などと言い、お惣菜を電子レンジで温めて食べようとしました。そこで、妻が私に向かって泣きながら怒ったのです。最初、私は、なぜ妻がそんなに機嫌が悪いのかわかりませんでした。よくわからないまま的はずれな慰めをする私に、妻は、「なんでそんなに普通なの。私が1日中、[私]がどんなに落ち込んでいるだろうって心配して落ち込んでいたのに。いつもと同じようにただいまが言えるように何度も練習して、少しでも[私]が元気になるように[私]が好きなものをいっぱい買って帰ってきたのに。」と、泣きながら怒りました。そこまで言われても、私は、医師も体調の問題の可能性もあると言っていたし、再検査するまではわからないから、などと言って妻を慰めようとして、かえって、「なんで私が[私]を慰めるんじゃなくて、[私]が私を慰めるの。」と、また怒られました。妻は、私に対し、精子が少ない程度であれば体調の問題かもしれないが、まったくの無精子は体調の問題などではないと言いました。妻の話を聞いて、私は、はじめて事態の深刻さを少し理解し、はじめて泣きました。
入籍からわずか約2ヶ月後のことでした。

2回目の精液検査と無精子症の確定診断

それから再検査までの間、妻は、夜寝るときなど、時々激しく泣きました。そうしたとき、私は、いつも、きっと再検査では見つかるよ、と慰めました。私は気持ちを棚上げにするタイプの人間なので、そのときは、まだ落ち込む段階ではないから今後のことは再検査を受けてから考えようと思っており、実際にも、再検査まで、ほとんど落ち込むことはありませんでした。1回目の検査は、事前に準備することなく当日に急遽実施したものなので、2回目の検査では、事前に体調を整えておけば問題なしと言われるだろうと安易に考えていました。
私の甘い考えに反して、体調を整えて臨んだ再検査でもやはり精子は見つからず、私は、晴れて(?)、100人に1人の割合の病気である無精子症の患者と確定的に診断されました。
妻が通っていた総合病院では男性不妊を取り扱っていなかったので、男性不妊外来がある別の総合病院を紹介してもらいました。ここに至って、私はようやく少し事態の深刻さを認識しました。
もちろんショックでしたが、それでも、無精子症は治療可能な場合もあるという希望もあり、それほど絶望的な気持ちにはなりませんでした。むしろ、妻のほうがずっと苦しみ、それを私が慰める日々が続きました。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?