無精子症の私がdonor-conceived childrenの親になるまで(8) 当事者としての思い


無精子症の辛さ

無精子症は、命にも日常生活にも、まったく影響がない病気です。
TESEをすれば痛みはありますが、私の場合は、あまり時間を要することなく、傷口は治り、痛みはなくなりました。
もちろん、自分の遺伝学上の子を作れないのは悲しいですが、自分ひとりであれば、自分の体のことだから仕方がない、むしろ、命に関わるような病気でなかっただけ幸運だったと諦められる問題でした。
私にとって最も辛かったのは、ただ、自分が最も幸せにしたいと願ったはずの妻に対し、普通の幸せを与えられることができなかったばかりか、自分のせいで、妻が心身とも傷付いていき、妻が大切にしていたキャリアや友人関係が壊れていったことです。そして、自分は苦しむ妻を見ていることしかできなかったばかりか、妻を苦しみへと駆り立てていくことしかできなかったことです。
妻が私への愛情をなくしたのならば、私と離婚するにせよそうでないにせよ、妻は、苦しむことも傷付くこともなかったでしょう。私も、妻に恨まれても、これほど辛くなく、仕方ないと受け止められたでしょう。
でも、妻は、私以上に私の遺伝学上の子どもを生めないことを嘆き、それまで以上に私を愛し、私を支えようとしてくれました。妻は、私を愛してくれたからこそ、傷付き、苦しんだのです。妻が私を恨むように、妻の大切なものが壊れてしまったのも、妻が私を愛してくれたからです。
私は、最愛の妻からの、愛情とその裏返しの恨みに押し潰されそうになりました。
それでも私が押し潰されずに踏み留まれたのは、実家族や義両親の支えや、タイミングの良い海外赴任など、いくつかの偶然のおかげでした。
それよりも大きかったのは、先に妻が耐えられなくなってしまい、幸か不幸か、自分が立っているしかない状況に追い込まれたことだと思います。

ドナー精子という選択

私は、もともと、パートナーよりも子どもが欲しかったくらい、子どもを持つことを夢見ていました。そうはいっても、自分だけの問題であれば、無精子症が発覚したとき、体が悪ければ仕方がないと諦めたかもしれません(そもそも、諦めるしかありません。)。
しかし、私とは違って何の問題もない妻にまで、子どもを諦めさせたくはありませんでした。
夫婦で相談した結果、私たちは、精子提供による治療を選択しました。
精子提供を受ける方法には、親族等から提供を受けるか、精子バンクのドナー精子を利用するかの2つがありますが、夫婦で相談した結果、私たちは、精子バンクのドナー精子を利用することにしました。
必要ならば協力すると申し出てくれた親族もいましたが、私たちの場合は、中途半端に私と共通点や接点がある親族よりも、いっそ無関係のドナーのほうが、将来、子どもとの関係性を築きやすいのではないかと判断したのです(念のため、親族間提供を一般に否定する意図はありません。単に、私たちの個別の事情の下では、そのほうがよいと判断したというだけです。)。
ちなみに、私自身は、TESEが成功しなかった場合に精子提供を受けることには抵抗がありませんでした。毎日のように泣きながら、親子とは何か、必死に考えた私が出した答えは、世話でてんてこ舞いになったり、家族で食卓を囲んだり、一緒にゲームに興じたりする親子像であって、DNA鑑定結果報告書の記載や血液型は、そこに含まれていなかったのです。もしかしたら、思春期の頃からモラハラ気質の実父が嫌いで、なぜ、生物学的・遺伝学的関係だけで父子であることを強いられなければならないのかと反発していたことが影響したかもしれません。
近年は、donor-conceived childrenのアイデンティティの形成には、できるかぎり早期から告知(teling)を進めること(それは、単に自分たちがdonor-conceived childrenである旨の告知にとどまらず、自分のルーツが化学的な「検体」や「細胞」ではなく、命ある「人間」だと実感できるようにすることなのかなと思っています。)が重要と考えられているものと理解しています。
ですから、子どもたちには、自らがdonor-conceived childrenであることも、私たちの手元にある限りのドナーの情報も、成人すればドナーの名前や連絡先を知ることができることも、できる限り早くから伝えていくつもりであり、そのための絵本も購入しました。幸い、donor-conceived childrenが当たり前にいる海外では、donor-conceived childrenに対する告知のための絵本も、いろいろな種類から選ぶことができました。
でも、donor-conceived childrenであるからといって、特別な何かがあるとは考えていません。
子どもたちは、私たち夫婦が願ったから私たち夫婦のもとに来た子どもたちで、私たち夫婦が育てる、私たち夫婦しか育てる者がいない子どもたちです。そこには、他の親子と何の違いもありません。
その上で、子どもたちが、donor-conceived childrenであることも、自らの大切な個性の一つとして、また、数ある個性の中の単なる一つにすぎないものとして、自然に受け止めることができるよう、導いて(あるいは支えて)いきたいと思います。 

ブライダルチェック・精液検査について

ブライダルチェックをしなかった後悔

私は、もともと、知識としては、無精子症を含む男性不妊の存在を知っており、いわゆるブライダルチェックとしての精液検査の存在も知っていました。 それにもかかわらず、私は、愚かにも、自分が無精子症だとは夢にも思わず、ブライダルチェックとしての精液検査は行いませんでした。
そのことは、これまでの私の人生で最大の後悔です。
もし私が一度だけ時間を戻せるのなら、私は、愚かな自分にブライダルチェックを受けさせ、妻に結果を説明させるでしょう。
そうしていれば、きっと、妻は、不妊の苦しみなどとは無縁なまま、他のパートナーと幸せな家庭を築いていたことでしょう。仮に妻が私をパートナーとして選んだとしても、当初から無精子症について理解した上での選択であれば、これほど苦しみはしなかったでしょう。
そうした後悔から、私は、パートナーを持つことを考える全ての男性に、ブライダルチェックとしての精液検査を受けてほしいと強く思います。きっと、検査を受ける男性自身及びそのパートナーの心を守ることに繋がります。
なお、東京都では、未婚の男性がブライダルチェックとして行う場合も含め、精液検査が実質無料になる補助を実施する旨の報道があります。 男性の不妊検査、東京都が実質無料化へ…受講条件に39歳まで対象 : 読売新聞 (yomiuri.co.jp)

精液検査の重み

その一方で、軽い気持ちで受けた精液検査で無精子症と宣告された私だからこそ言えるのは、精液検査は、場合によっては、検査を受けた人やそのパートナーの人生を根本から覆すような検査であり、生半可な覚悟で受けるべき検査ではないということです。
不妊治療をしているカップルの中には、男性が精液検査を受けたがらない事例があると聞きますが、その気持ちも分からないではありません。
少なくとも、精液検査は、外野から受けろと安易に言えるような検査ではないと思います。

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