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才女という言葉はあるけれど

言葉が気になる。
ジェンダーの観点もあるが、かと言って
女性差別だ!使うな!と叫びたいわけではない。

アンコンシャスバイアスにものすごく興味がある、とも言える。

私たちは言葉を使って思考しているので、その使う言葉自体にアンコンシャスバイアスがかかっていたら、思考もそうなるのでは?と考えたり、違うのか?と思ったり。

大河ドラマ『光る君へ』をみていたら、
次回のタイトルが『二人の才女』とあった。

これで、才能ある二人の女性が出るのだね、
あ、もしかしてもう1人は清少納言?
と視聴者は考える。もちろんもう1人は
紫式部であることは言外の共通認識。

で、ハタと止まる。
才女に対して才能ある男性に関しての言葉ってある?
ない。
となると、言葉の大きな概念として女性のなかに才能ある人がいたら、それは突出して言葉となり、男性の場合は言葉にならないのか?

例えば、敏腕
という言葉だったらどうだろう?
この言葉からは男性のイメージ?
敏腕社長、と言ったらスーツを着こなした男性が浮かぶ?

違うかもだけど、このように言葉に付随するイメージというのが、脳内のどこかに刷り込まれていて、さらにそこに性別、服装なども見えたり見えなかったり。

だから逆に言葉を使って印象操作をすることだってできるのだ。

言葉によって伝達することって意外に難しいことだ。
言葉を使う時に、その内容への抽象化と具体化を意識しないとならない。

そんなことを考えている。
この本を読んだせいだろうか。

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