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言葉のちから

手術翌日、血栓等副作用予防のためにも「すぐに歩く」は術前から言われていたので、点滴を転がしながらヨロヨロと部屋を出て行こうとすると、同室の方から「大丈夫ですか?」と声をかけられる。
「辛いです」本音で答えた。
「わたしも手術の日は、このまま寝たきりになってしまうと思ってた」と。

え?そんなに元気なのに?と驚く。吐き気のことを告げると、痛み止めカチカチすると、痛みは楽になるけど吐き気で隣のベッドのひとが苦しんでたから、押さなかった、と。なんと!知っていれば押さなかったのだ。
痛みより吐き気に弱いわたしだ。

「ぜったい一日一日よくなるから」

同じ全麻して開腹した同志からの力強い言葉に、目の前がパッと開けた気がした。

「言葉」は強い。

彼女から受け取ったバトンをわたしは同室の人へ渡した。
そうやって渡っていく「言葉」はリハビリへ積極的に向かう力になった。痛くても歩く、便秘にならないようにする、起こりうる副作用に向けて。

確かに開腹手術は体力と気力を要するものだった。まだ若い部類らしいわたしは、頑張れば乗り越えられるものであったが、年とともに予後不良となることは少なくないらしい。それには日頃から体力、気力をつけておくことが必要だ。

生き延びるためには、相当なちからがいる。

言葉はそれを救う。
言葉のちからをここまで感じたのは初めてだった。同じ想いを越えた者の言葉は、別格だった。
「ひとごと」ではない言葉は、ここまで人を前を向かせるものなのか!

自分の詩など、自分にも、誰にも届かない無力なものだと入院前は思っていた。
今は違う。
言葉は信じることから始まる。
自分で自分の言葉を信じること、今、そのスタートをきったばかりのわたしだ。

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