正しさってそんなに大切ですか?倒錯の中にいたい


最近日本の左翼運動の歴史と上野千鶴子以前のフェミニズムについて調べていた。それは、なぜ、「ことばにない」がレズビアンを主人公にした演劇を引き受けるかということにも繋がってくる、ひいては宮崎がなぜそれを行うのかというところにもつながるのだけど、実存を差し出さないあり方に対してわたしはどこかでは、それでいいの?と思ってしまう。アカデミズムへの嫌さもあるのだろう。

(ここで言う実存とは仮留めとしての、引き受けの問題で、女の人しか好きになったことないからレズビアンだとか、そういう話ではない)なぜ、その名前を、政治的正しさとしての選択ではなく歴史の延長線上で引き受けるのか、ということ。

自分を大切にする丁寧な暮らしを行いながらのアナーキズムってあるのだろうか。それって資本主義と寝ていないですか、という純粋な疑問。

規範に外れることを紛糾するネオリベ的正しさを振り回している人が散見される。まぁ時代っぽいしそれでもいいんですけど、で、お前はどうなのか、と言いたくなる。その辺が甘いんだよ、と言いたくなる。自分で物差しを持てよ、と。

わたしは一生アーティストでいたいと思う。

演劇作品をつくっています。ここでは思考を硬い言葉で書いたり、日記を書いたりしています。サポートをいただけますと、日頃の活動の励みになります。宮崎が楽しく生きられます。