宮崎玲奈

劇作家、演出家、ムニ主宰。96年高知生まれ、Juice=Juiceの工藤由愛さんが好き…

宮崎玲奈

劇作家、演出家、ムニ主宰。96年高知生まれ、Juice=Juiceの工藤由愛さんが好きです。宮﨑莉々香、俳句作家、オルガン。

マガジン

  • 演技のまわり道

    演技ということがわからなくて、2019年から書き始めました。演技や戯曲を書く中での問いや、影響を受けたものについての雑談noteです。

  • 生田日記

    そこそこ読み応えのある書き物を目指します。 読んだ本、観た映画、日々考えたこと、料理などのことを記録します。

  • アフタートーク

    アフタートークに出演した作品のことを書いていきます。

  • 上演後の振り返り記事

    上演後に振り返っている文章を集めました。

  • 豊岡滞在日記

    2020.12.15-22@サブログ

最近の記事

自分のからだのことを考えるようになった

自分の日常生活の体のことを体の部分、部位レベルで考えるようになった。 わたしは自分の体のことをまったく大切にできないたちで、ストレスが溜まると体を引っ掻いてしまったりなど、内的ストレスを体へ直接落とし込んでたので、体は当然傷つく感じになってしまっていた。というのが、これまでの人生における話。 2023年3月に『ことばにない』のことが、書きながらわからなくなって、オフィスマウンテンのワークショップに参加してみようと思い、伊東に行った。 それから、しばらくして、「トリオの踊り

    • 加茂慶太郎・宮崎玲奈 『実験ラボ2024年4月10日』で実験する新作(戯曲ファイルあり)

      2024年4月10日にSTスポットにて加茂慶太郎・宮崎玲奈 『実験ラボ2024年4月10日』というラボを開きます。福岡在住の加茂くん、宮崎で今実験したいことをめいいいっぱい実験する場です。1日居放題チケットというのがありまして、1日居放題できるのでおすすめです。上演を2回みることができます。 📍公演詳細はこちらです 📍予約フォームはこちらです ⭐️わたしは以下の新作を執筆してみました。1年くらい掛けて今後執筆を進めようとしているもので、今できている10ページくらいをやっ

      • 代弁を失敗しつづける強力なスーパーフラットの形式のためのメモ書き

        ・俳優がセリフを話す、という行為があるとき、あたかも自分の言葉であるかのようにセリフを話す、役と見えるための演出に沿ったその発話の形式に納得することができない。 ・それは演出によって引き起こされる。もしくは、俳優は役になりきるものだという固定概念によって起こりうる。 ・わたしは「劇への抵抗」という文章の中で、「ーに見える」という目的に向かうリアリズム演劇の手法を脱したいこと、その回避の仕方を宣誓した。 ・既存の現代演劇における俳優が役そのものであるかのようにセリフを発話

        • 明日から『つかの間の道』がはじまります

          明日から『つかの間の道』の上演がはじまります。観劇されて、宮崎さんどうしちゃったの?と思われる可能性もありますが、『ことばにない』を終えてから、私なりの理屈が通って今回の演出形式を選択するに至りました。当日パンフレットに5700字の『劇への抵抗ー軽さを起点として』という文章を書いています。 劇としてでなく、上演が上演として自立し得るために、という命題に向き合って、一緒に創作を行なってくださった『つかの間の道』に参加しているみなさんには本当にリスペクトしかありません。個が個と

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        記事

          2024年抱負

          ・ためにならないくだらないことを続ける、ボケ続ける。 ・叩けるやつは叩くだけ叩くというクソに負けない。 ・うまい戯曲を書く。

          上演に「軽さ」が必要だからこそ、なにもない舞台が必要になる

          演技の回り道のメモ書き2023.12.28 ・観客に「どのように見えるか」を考えて組み立てられたリアリズムの演技が嘘くさいと感じるようになった。リアリズムの演技がわからなくなった。 ・主体の重さ(と呼ばれるもの)があった際に、それを重さで上演の際に表現することはすごく簡単に思えてしまうし、短絡的だと考えるようになった。 ・わたしは不可視の歴史の表象を正確に、求められる表象として成すことは難しい。技術者ではあるが、一人の人間でしかないためだ。成すにしてもその表象の絶対数は

          上演に「軽さ」が必要だからこそ、なにもない舞台が必要になる

          ある駅のある街のある家

          ある駅のある街のある家に大学1、2年生の頃に5人で集まっていた。よく徹夜して、俳句をよなよな作っていた。凌霄花が咲いて、団地の道に落ちてあるので、のうぜんの句をその当時はたくさん作っていた。ある駅のある街のある家の近くにあるあるラーメン屋にモグライダーのともしげが行っていた動画を最近家でダラダラしながら観た。ある駅のある街のある家の近くにあるラーメン屋に時折みんなで行ったりしたのだけど、ある人はある辛いラーメンを、食べるといつもお腹壊しちゃうんだよなぁ、と言いながら食べていた

          ある駅のある街のある家

          【ムニ】クリスマス企画の台本を販売し、ガザ地区への寄付金とします

          『ムニのクリスマスホリデー!』というささやかな演劇公演が終演した。クリスマスを憂鬱に思っていたわたしは、異性愛規範や商業主義が蔓延し、二人で過ごすことや家族で過ごすことが強調されるクリスマスの時期に、気楽に過ごせるような、楽しくいられる場をひらきたいと思い、この演劇公演を含む企画を動かしていた。黒澤優美と宮崎玲奈、各人のクリスマスにまつわる短編2作品を上演したが、どちらにもパートナーを持つキャラクターは登場しなかった。演劇作品を上演し、飲み食べしながらそれを観るという、クリス

          【ムニ】クリスマス企画の台本を販売し、ガザ地区への寄付金とします

          シアターホームステイプロジェクト参加レポートーその1

          はじめに 小劇場ネットワーク主催のシアターホームステイプロジェクトに参加した。面談をした際に、シアターZOOの斎藤歩さんから「ここのところは、コロナで交流も難しい時代が続いたかもしれないが、わたしたちの時代はもっとお互いに行き来していたんだ」ということを伺い、普段は知り合うことが難しい場所(東京近郊以外)に住んでいる同世代の演劇人が何を考えて演劇に向かっているのか知りたく、情報共有をしたいと思った。わたしは、『わたしとわたし、ぼくとぼく』というLGBTQ +を題材として扱っ

          シアターホームステイプロジェクト参加レポートーその1

          最近のこと

          個人としての幸せがよくわからなくなった。 仕事しているのは幸せ。けど、最近仕事しかしていない。仕事してるのが幸せ。「ことばにない」を終え、1日休んで、とは言ってもオンラインで打ち合わせをしたりはして、喜界島で創作をして、発表をして、創作をして、京都で発表をして、東京に帰ってきて、脚本の打ち合わせがあり、11月が終わりそうになっている。 明日もなにかをして、しばらくしたら脚本のプロット〆切があって、もう一本脚本の〆切があって、、、、で、バタバタして、で、年が明けてバタバタして

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          すべてにつかれました

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          ほんとうのわたしは好かれないが、わたしの作品を好きだと言う人がいる。

          わたしは好かれないが、わたしの作品は好かれるという自己分裂しそうなこと、その作品を作っているのもわたしなんだけどな、とずっと感じていた。そんなことと、葛藤していた気がする。わたしはそんな丁寧な人でもないし出来た人間でもない、その自己矛盾にほんとにそれでいいのか?と思っていたけれど、作品と自分の距離が縮めば縮むほど、別の難しさも生まれてくる。ほんとうの自分は友達だけに見せて、作品にはほんとうの自分のカケラを今後は散りばめていくことにしようかなと思う。わたしはエッセイストではない

          ほんとうのわたしは好かれないが、わたしの作品を好きだと言う人がいる。

          取り乱しというキーワード

          過日の青本柚紀さんとのアフタートークの中で、「取り乱し」という言葉が出ました。後編の執筆の中で思考していたものだったということもあり、その話が出来てよかったなと思っています。2023年の『ことばにない』後編は非常に今、ここ性が高い作品だなと思いました。 『ことばにない』のこれからの長い未来があったとして、改稿したりということがあるのであれば、前編も後編も作品としては年々研ぎ澄まされていくのかもしれないけれど、2022年、2023年上演版は長いスパンで見たとしても、わたし個人

          取り乱しというキーワード

          上演2週間前

          わたしは前編を書いた一年前とは良くも悪くも全く違う人間になっていて、一年前のわたしはもう少し繊細な人間だったなと思った。人を信じられていたなと、テープの音声を聞きながら思った。去年色々なことがわたしの身に起こったことで、演劇も人も信じられない、となったことが大きく起因していて、起こった出来事への怒りもあったし、どう演劇を、人を、信じればよいのかがほんとうにわからなくなってしまい、周りの人にも沢山助けてもらうことで(改めてありがとうございました)なんとか後編を書ける状態になった

          上演2週間前

          バストリオを観た 感情の話

          バストリオ『一匹のモンタージュ』リクリエーション@こまばアゴラ劇場、を観た。終盤の橋本さんのシーンに特にグッときた。 ここからはネタバレ含むので、ネタバレされたくない人は読まないでください。 「橋本さんは感情的に生きるのをやめました」(という旨の)セリフを坂藤さんが発話して、橋本さんはやってきた女性の方から取り出された橋本さんの心臓を手に持って、舞台上で立っていた。 まるで、自分がそこに立っているみたいだと思った。あのパフォーマンスに心臓を取り出されて、立っていた橋本さ

          バストリオを観た 感情の話

          トラウマの話

          わたしは去年の『ことばにない』上演期間中に、「生理用品をトイレに置く暇があるなら死ぬほど傷ついて作品作ってください」「こんな作品作らない方がいい」「レズビアンであるということを客寄せに使っている」ということを直接&間接的に言われ、普通に傷付いた。あまり周りの環境にも守ってもらえなかった。他の人は自分がやりたいことを作品にしても言われないことを、なぜわたしだけ言われて傷付かなくてはいけないのかが本当にわからなかった。2ヶ月くらい何も出来ない時間が続いた。 気にしなければいい、

          トラウマの話