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自分で立つこと

熱海行きの電車を待ってる


ワークショップに行った。理由は自分の足で舞台に立ちたいと思ったから(誰に何を言われようとも)、他にもありますが、ここでは省く。

吉田と定期稽古をしたり、毎日セリフを覚えて発話してみたりをやっていて、俳優の筋トレってなんだろう?みんなしてるんかな?と気になった。書き続けるのと同じで、やっていたら、それなりにうまくなるんじゃないか、とも思った。今のところ苦じゃない。一年くらいかけて自分の足で自分の作品を作れるという状態まで持っていこうと俳優の筋トレをしている。わたしは自分の足でも立てる(誰に何を言われようとも)のだと証明したいという気持ちが強い。

演劇をつくるということでの頭や手の動かし方があり、それは、舞台に立つ上でも、やっててよかったなということの一つだった。手の動かし方がわかってないと、依存することになるのだとも思った。

わたしの場合はセクシャリティや自分の言葉をいかに消して身体だけにするかを考えたくなる。ただ消すのではなく、そこに重要性を置かないために消すという意味で。それはわたしの身体でしか成せないことなのだとも思う。描写しかしたくない。(これまでも描写しかしてないけど)。

わたしはわたしなので、劇作家であるとか、演出家であるとか、高知出身だとか、それはわたしの客観的なわたしの一部だけど、どーでもいい情報なのだ。それでわたしを知った気にならないでほしい。そういう人が多くいるのも知ってるし、社会ではそんな人とも付き合っていかなくてはならないが。そういう人を身体から呪いたいと思ってしまう。そんな言葉を劇作家としては探しているし、他者に託せたらなお良いのだろうとも思う。

演劇作品をつくっています。ここでは思考を硬い言葉で書いたり、日記を書いたりしています。サポートをいただけますと、日頃の活動の励みになります。宮崎が楽しく生きられます。