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『つかの間の道』後の近況など

なんとなく書く気になったので、書く。といっても、『須磨浦旅行譚』の時ほど、どんなことがやりたかったんだ、みたいな記事は書かなくてもよい気がしたし、そういうのはなんだか恥ずかしいように思えて、大したことは書かなくていいような気がした。上演は上演で完結してほしい。

今回の上演は本当に俳優のみなさん、スタッフのみなさんの力によってあった。まずみなさんに感謝をのべたいです。ほんとうにありがとうございました。

ここのところはというと、映画を観たり、本屋に行って本を買って読んだり、花に水をやったり、自炊をしたり、していた。とにかくバイトもせず、ダラダラと過ごしていた。特になにかをするような気にはなれず、なにをしたいのかとか、ぼんやりと考えたり、考えなかったりしながら過ごした。春風舎のメンテには行った。その後アゴラに行った。

昨日、まだ観ていなかったジャームッシュの『ダウン・バイ・ロー』を観た。『パーマネント・バケーション』の引用を劇中で行ったが、正直こんなに、ジャームッシュのことを言われると思っていなかったので、早速だが観ることにしたのだった。『ダウン・バイ・ロー』、一人が二人になり、二人が三人になり、三人が二人に、二人が一人になる、というような構造が見られて、あー、たしかにそういうところは自分も志向している節があるのかもしれないなと思った。

ガルシア・マルケスをそろそろ読まないとなー、タイミングかもなー、と思って、ブックオフに行って、『コレラの時代の愛』を安く手に入れた。まだ読んでない。

今年の予定はおどろくほどに、特に決まっていないけれど、新国×ロイヤルコートの劇作家WSで新作戯曲を書いている。次に第2稿の提出があって、それに向けて書き進めないといけない。一応長編で、もう少しガシガシ詰めて書こうと思っている。上演の予定はない。とりあえず、3月末までは、その戯曲の直しをする。もうすぐ取り掛かりはじめようと思う。『つかの間の道』でモノローグを初めて捨てた。多分大幅に書き直すことになるだろうなと今からすでにビクつく。プロットが甘いので、練り直さないとなー。

もう一本くらいは、今年中に書いておきたいなーとは思っているけれど、それもどうなるかはまだわからない。なんとなくコントを書きたいなという欲が出ているけど、それもどうなることか。メモ書きみたいにして書き溜めて置くとかしてみようか。

しかし、もう一回くらいは今年中に、作品を発表できたらと思っています。短編でもよいので。

と、ここまで書いたところで、物語信じられないと言っている割に、読んだりとか観たりとか好きなんだなって思う人もいるのかもしれない。『つかの間の道』でここまでだと思ったところ以上のことが、次は書けたらなーとは思っているけれど、どうなんだろう。でも、なんだか、戯曲は音楽の楽譜のようにしか自分自身は思えなくて、自分の仕事だから、やるのだけれど、演劇作品として完結されることをどこかで望んでいる。でも、物語好きだから、書いちゃうのだけれど、書きたいことに、演劇の構造も含ませていくことができたら、それがいちばんいいと思っている。というか、そうしたいと思っている。それが、わたしの思う戯曲なのだ。

あと、言葉を客観的に伝えられるようになることを次の上演に向けてしていきたい。なんというか、わたしの使う言葉は、ふにゃついているのだ。意味を多く取れてしまうのだ。俳優のみなさんにはほんとうに苦労をお掛けしました。自分が観劇した時の感想もできるだけ、簡潔に書いていけたらなと思って、振り返りました。できることから意識していきたいです。

最後になりましたが、『つかの間の道』を経て、発見したことをざっと書いておきます。

・モノローグを捨てた。同時にジャルジャル会話を増やした。音への意識の度合い。リアルな会話じゃなさ、追いつけなさが、ストーリーの理解としてのセリフとは異なる部分になる可能性。意味でなく音。理解でなく、知覚へのアプローチに変わる。

・とどまる場所と会話の種類の把握(場所によって喋る内容や長さが異なっていい。または、逆に、長い時間のものを短く見せる。短い時間のものを長く見せるようにしてもよい。)

・前半はミニマムに、後半は慣れてくることもあるから、大きく展開していってもよい。

・発話等、型は演出するが、間は俳優に任せる。毎回上演によって見え方がことなるし、どれが一番ということはない。上演後のフィードバックでは、ほとんど、今日はどのように見えたかを報告することのみだった。型があった上で、俳優の有機性が浮上する。型をやっているように見えないこと、自由すぎて、普通にならないことの狭間を毎回やっていた。こうした方がいいかもみたいな動きの演出は稽古で試しながら調整した。

というのも、ここは今日はニュアンスや声量大きかったけど、誰かが小さくすることで調整がなされていたよね、みたいなことが毎回起こっていた。観客の把握する間や、ガサゴソを意識しながら、セリフをはじめるといったことも含め。それは、想像の余白をつくったり、劇場を意識しながら、演技をする、ということかもしれません。場によって作品を変えていく。

ここまで書いたのですが、参加してくださった俳優さん、みなさん、とにかく、ほんとうにすごかったのです。毎回チャレンジしてくださった。

・型とは、主に演技をどう位置づけるかということだったように思う。例えば、なにを「ふり」で見せて、なにを本当にするかの選択。その塩梅が毎回難しいのだけれど、その選択をあやまらなければ、きっと思うような作品にはなる気がする。

と、思いつく限り。なんだか少し長くなってしまいましたが、このあたりで終わりにしようと思います。

(予定が、がら空きなので、なにか、お誘いごとなどありましたら、スケジュールと相談しつつ前向きに検討させていただきますので、イベント一緒にしよーなど、お気軽に、ご連絡くださいませ。)





演劇作品をつくっています。ここでは思考を硬い言葉で書いたり、日記を書いたりしています。サポートをいただけますと、日頃の活動の励みになります。宮崎が楽しく生きられます。