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実存をかけて俳句を書く


たぶん以下はオルガン座談会にも繋がる流れなのだろうが。実存を掛けて試みる、ということがわたしの人生の中で大切なポイントとなっている。それが書くことにおいては負け戦になるとしても、だ。だから、わたしはライフアーティストとしての俳句を書き続ける。筆を折らないということにした。そこには町内会的オルガンという共同体がわたしの隣に存在したことも大きいのだろうと思う。扱うことのできるナショナリズムである季語(同居人の飛田が言っていてなるほどと思った)を扱いつづける。ない、と俳句で言い続け、ちょけ続けることでわたしの実存を賭けて抵抗しつづける。季語を扱うという論理は一応わたしの中ではついている。わたしは「喃語俳句のために」というささやかな文章でも同時に抵抗していく。実存をかけて俳句を書くのだ。

演劇作品をつくっています。ここでは思考を硬い言葉で書いたり、日記を書いたりしています。サポートをいただけますと、日頃の活動の励みになります。宮崎が楽しく生きられます。