みつめつつみるみゆるゆめ

作家のカムはどうなのかという議論があったとして、その議論がそもそもうーんって感じだ。人のカムに口出すという行為がまずわたしにはよくわからないというのと、でもその行為(カムが'が必要な局面は出てくるというのもわかりつつという感じ。かなり構造の中でやる、かつ地でやるし、大切な局面でしかやりたくないとも思う。

なぜ人のあり方の選択にツベコベ人は言えるのだろう。カムが作品にたとえば組み込まれた場合、作品だから選択につべこべ言えるということになるのだろうか。けどカムしないで生きていけるほど、作品を発表して、素知らぬ顔をして何もないようにやり過ごせるほど、周りは何も言わないでいてくれるのだろうか、ということも思う。

わたしなら、そっとしといてくれ、と思う。

みつめつつみゆ、みゆるゆめ

他者は鏡だ。けれど、わたしにとっては「普通」のことも他者にとっては「普通」でなく、他人の人生の選択に口出しをしていいというヘンテコな倫理観がメジャーとされていて、大変生きづらいなぁと思うし、なんだかそんなことは考えたくもない。そのような過程から、わたしは死にたいに縛られていくのだと思う。

演劇作品をつくっています。ここでは思考を硬い言葉で書いたり、日記を書いたりしています。サポートをいただけますと、日頃の活動の励みになります。宮崎が楽しく生きられます。