見出し画像

沖縄と札幌に行ったこと

沖縄と札幌にそれぞれ3日間ほど滞在して演劇関係の人とお話をしたり、土地のお話を伺ったり、した。人はすぐに忘却してしまうけれど、忘れたくないことの方があまりにも多い。なんかちんけな言葉だが、出会えてよかったし、いま、わたしが出会うべき人だった。

わたしの持つアイデンティティのこと、沖縄のアイデンティティのこと、北海道のアイデンティティのこと、わかってもらいたい訳じゃないんだっていう共通点と、だけど酷い態度の冒涜と利用と日常。

目がいいことは損してる訳じゃない、耳が聞こえすぎることに圧迫される日々がある。ぐにゃぐにゃの自分と塊の自分と、人の暴力に慣れて心が死んでしまった自分と、それを許せなかったり、許さないと前に進めないのではないかと考える自分がいる。そこから物語がはじまってもいる。

わかってもらいたい訳じゃない、なのに、わかってもらいたいのではないかという態度を取られること、書くことを求められること、力を持ったものの横暴さに直面する日常のこと。

わたしは声を持っているし、体を持っている。他者が悪いのではない、無関心な人の集合体によって出来上がった社会が悪いわけじゃない、と思うようにする。それらを意識してしまう自分と、そんな自分を克服したい自分とに引き裂かれながら、今日を生きている。社会が悪い?そんな簡単じゃない。それは中間的な立場だから書けることだろう、言えることだろうと思ってしまう。わたしは社会が悪いと思いたい自分と、そう社会に教育された自分と日々闘っているんだ。

演劇作品をつくっています。ここでは思考を硬い言葉で書いたり、日記を書いたりしています。サポートをいただけますと、日頃の活動の励みになります。宮崎が楽しく生きられます。