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fragments

初秋の巨大な台風によって、列島が低気圧に満ちる頃、僕は灰色のチュチュとピンクのバレエシューズを履いてキャンパスをさまよい、友人は髪を金色に染めてヴィヴィアンウエストウッドのシャツを着て最前列でヌーベルバーグに関する講義を聞いていた。そういう時だった。台風が過ぎ去ったとしても永遠に低気圧の中にいるような気がしたし、君は苔みたいな色のマントを被っていた。ちょうど美術館では佐伯祐三の企画展をやっていて、僕も君もそれに当てられ、30歳くらいで精神病により死すことが最善に思えていて、僕は踊れもしないのにバレエシューズをずっと愛用していた。

初秋はいつも湯本に行く。蛇の胎内を思わせるいろは坂をスポーツカーに混じって走り、こじんまりとした観光地の中禅寺湖、二荒山神社を越えて、一足早い紅葉を見ることができた。中禅寺湖の湖畔が染まるのは、台風も来なくなり、都内にも半袖の人間がいなくなる頃まで待たなければならない。湯の湖は、充分に満ち足りた水が透き通り、中央の小島と、周囲の山々の色付いた遠景が一面に投影され、毎年のことながら筆舌に尽くしがたいと思う。僕に筆舌に尽くせるものなんてないのだが、それでも厚かましくもそう思うのだ。そして、湖の縁の砂浜には、温泉の成分が滲んだ泡が浮かび、貸しボートが並んでいる。僕は死ぬなら此処にしようと思う。砂浜から数メートルもしない位置から、湖の底は不自然に暗がりに突入していた。死ぬなら此処がいい。湯本に至る途中の中禅寺湖は、地形の構造が擂り鉢状になっているせいで、一度落ちると容易く溺れ死ぬと言われているが、僕は此処のが良かった。君を誘ったら同意してくれるだろうか。水はきっと冷たいだろう。その冷たさに、僕や君が耐えられるかと考えると、答えは否なのだった。結局のところ、湖畔に立ち並ぶお洒落な洋館の形をしたペンションを経営する気の良いオーナー夫婦や、要旨の読み取れない奇怪な訴えを書いた段ボールをワゴン車の側面に張り付けて待機する狂人に殺して欲しいのだ。鈍臭い僕たちを刺して、貸しボートに横たえ、深夜の湖に放ってくれたらいい。麓の鮎を食べ尽くして山を登ってきた鵜たちが咀嚼してくれるだろう。僕は未だに、そんな華々しいエンディングを期待している。

君に久しぶりに連絡をしようと思ったのは、湯本で撮った、紅葉の写真が思った以上に上出来だったから。 君はどう死にたいのか、話してくれたことがあっただろうか。以前、誕生日プレゼントとして兎の自殺法を紹介した絵本をくれた。その中のどれかが、君の理想と合致しているとは思えなかった。どう死のうとしてるのか予想がつかなかった。君がSNSのプロフィールを更新する度に反応するファンの女性たちが知っているとも思えなかったし、君は誰にも打ち明けずに実行するつもりなのかもしれかった。枯れ葉に満ちた地面に二枚少しずれて重なるように落ちた真っ赤な紅葉の、その赤が執拗に映えるようにPC上で修正しながら、君が死んだら僕は葬式にも出れないと思う。一層、無感情に犯されたいという、ここ数日のその思いは高まり、しかし君に何の利もない行為になるだろうと思った。ウォッカを少量入れたアッサムはぎりぎり口内を痛めない程度に冷め、それはもうある種の人間にとってしか価値のない温度だった。ディスプレイには、暴力的な赤が浮かび、僕はそれを君に送っていいものか途方に暮れた。駄目なんだろう。僕は送りつけたいという、送りつけて一緒に見に行こうと言いたいという、薄緑の膿のような欲を鎮めるために、自分のプロフィールの画像にそれをアップロードした。僕がそんなものを変えたところで誰も反応しない。というより、そんなことは誰がやろうと意味のない行為で、反応などないのが普通であって、沢山の反応を集める君はやはり異常なのだった。異常の針が、ある種の人間にとって感銘を与える方向に振り切れているのが君なのだった。僕は脳が狂い、精神が落ち、性器が疼いて、それが行動のバグへと繋がっていた。部屋の時計の針にも何かしか誤差が生じているようだったが、それでも夕刻には違いなかった。僕はヌーベルバーグの続きを聞くために、PCを眠らせ、外出の用意を始める。白い襟の付いた真っ黒のワンピースに、オフホワイトのタイツを履いた。タイツの脛の部分には黒いベロアのリボンが付いており、君はそれを過剰だと笑った。更に僕は髪にも赤い小さなリボンを付け、更なる過剰を目指した。下着によって締め付けられたウエストは、ワンピースの裾が広がるデザインとぎりぎりの均衡を保っている。今日も教室に、夜を心待ちにしているような種類の人間がぞろぞろと集まってくる。きっと彼女はまた最前列にいる。話はヌーベルバーグだ。60年代の遠い話だ。

君の死に場所をずっと探していたような気がする。一緒のバイト先のある白金の小さな緑地とか、神楽坂の虎のいるショーウィンドーとか、花園神社とか。そして、池袋西口公園の真ん中。あそこは舞台で、あそこを横切る行為は横のステージに乗るよりずっと演劇的で、馬鹿に見える行為だった。君の死に場所として案外適しているかもしれない。君が死ぬのは渋谷じゃない。似合いすぎている。下北沢ではあざとすぎる。僕は君に死んで欲しいのかというと、そういう訳ではなく、しかしどちらかというと、僕は無様に君を喪うだろうという予感が強かった。あるいは、君に醜い死骸を見られたかった。少しだけ迷って、ウォッカを午後の紅茶で希釈して飲み干し、僕はまたバレエシューズを履いた。

ゴダールの絵画のような映画の構図について、だらだらと聞き流していた。書いたときは、規則的だったノートは過去になった瞬間幾何学のカオスとなる。そして眠気が勝った時、直線は丸みを得て、ノートは完全に破綻する。要は眠気だ。出掛けの紛い物のロシアンティーが効いているのだろうか。いや、僕はいつだってそうだ。一端だけ聞いて全て心得たように物語ってしまう。僕は先生を冒涜している。友人は、刈り上げた金髪にヴィヴィアンのベレー帽を被って最前列で熱心に先生の言葉を汲み取っている。君は、寝ないと言っていた。眠らない、と。きっと友人とは異なる表情でこの講義を聞いている。僕は振り返らない。君が教室の何処に座っているか、探したくなかった。そこばかり見つめているであろう、自分を予想するとうんざりした。僕は、ヌーベルバーグを35%くらいに希釈して、脳に流し込んだ。講義後の濁流のような廊下で、僕は踏んづけられた右足を庇うようにノロノロと進んでいる。みんな、自分はこの流れの一部ではないと思っている。こんな講義を受けるような人間はみんなそうだ。僕もそうだし、友人もそうだし、横を歩いている青い髪の少女もそうだ。君は違うけれど。ふいに濁流を分け入るように現れた人物が君で、二人は顔を付き合わせて二重の目と目で見詰め合って、すれ違った。

君はバイト先でも、颯爽としていて、超然としていて、浮いていた。誰よりも美しく、気高い猫のように歩いていた。僕はディスプレイに隠れるようにして見ている。誰とも視線を合わさず、何にも焦点を合わさない君と時折目が合う度に、僕は多幸感に包まれた十秒後、訳も分からないまま死にたくなるのだった。一層殺されたい。湖で、などと贅沢は言わない。この白金の果ての墓地に囲まれたような地区の、煙草を吸えるくらいしか能がない公園とも呼べないような隙間でいいから、殺してください。僕はディスプレイの陰で酷く混乱を深めていく。君はふいにすっくと立ち上がり、座席にかけたジャケットの胸ポケットから無駄のない動きでキャスターを抜き去ると、早足でオフィスを出ていく。全てが立ち入る隙の無い動作で、全ての身体のしなり、関節、空気の揺れが美しかった。苦しかった。その手で殺して欲しい。否、そんな望みは高くない。最低限、君の記憶の世界に居たくてたまらなくなり、脈絡なく連絡先を尋ねた僕に、君は半日遅れで返答したのだった。僕は携帯が宝になった。そして僕の地獄は加速していく。

君はキャンパスでもオフィスでも、僕と知り合いであることを伏せるかのように振る舞った。曖昧な会話と、淡い表情の変化だけで、君は僕だと、思った。やっと僕は自分に出会えた。君はずっと一人に思えた。君はずっと不幸で、屈辱感に塗れているように見えた。君はずっと美しかった。わかりたかった。おこがましい望みだが、君しかないと思った。同じ孤独を思った。同じ苦痛を思った。殺して欲しかった。君は僕を殺したら、本物の孤独になる。それこそが美しい君に相応しいはずだ。僕が世界の余剰で、僕を消して君は完全体になるのだ。僕は、日々どうしたら君が僕に殺意を持ってくれるか考えていた。至極他愛もない話題を君に送り、きっと返事は無いだろうと考え、本当に返事が無いことに酷く傷付いたり、君と目が合わないことで精神の均衡を崩して一人で混乱して作業を滞らせたりしていたのも、全て殺されたいためだった。刺して刺して刺して、穴だらけになった僕を嘲笑ってくれたら、この苦痛は報われるはずだった。

君が僕を食事に誘ったのは、その折だった。なぜだろう。なぜ君は隣に横たわっているのだろう。シーツからはみ出した髪は、指は、完全に静止していた。君は目を合わせない。君はナイフを向けて来ない。僕が殺してしまったかのようだった。血の一滴も流れていないホテルの部屋で、僕は均衡を崩していく。なぜだ。何が。君が死んだら、僕は一人でこの孤独を、屈辱を生きなければならない。僕は、君以外に、僕を殺して欲しいと思える人にはきっと出会えない。それは永遠の苦しみを暗示していた。血がどこか別の次元に流れ落ちていく感覚がして、僕はがくりとベッドから陥落した。絨毯の鈍い音すら、他人事に聞こえた。

「どうしたの。」
少しずつ、音声が身体に戻ってくるのを感じた。
「なんで泣いてるの?痛いの?」
生きていた。苦痛の中を、屈辱感に苛まれながら、君はまだ生きていた。差し出された腕は細く骨張っていて、至極美しく、僕は涙の感触を自分のこととして認識して、また泣いた。

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