見出し画像

小説|殺させて Prolog

――異常は、いけないことである

  誰が言ったのだろう

  心に風潮として刻まれた「異常」あの人

  私を虜にする

  それは背徳か、愛か、狂気か。

  異常という言葉でさえ

  あの人への想いのトリガーになる――


「殺させてほしい」

そう言われたのは初めてだ。まあ、こんな台詞を言われることは一生に一度もないことが普通なのだろう。それにしても、単刀直入にも程がある。

これは、そのままの意味で捉えていいのかな。冗談ならいい笑い者だ。

狂気も何も孕んでなさそうな穏やかな笑顔に似つかわしくない言葉。つい息が漏れた。

冗談だとしても、この言葉は魅力的だ。

そう感じたのは、私が異常だからなのだろう。死にたいと思ったことが一度もないわけじゃない。いや一度や二度どころじゃない。毎日かもしれない。死にたい。死にたい理由ではなく、死ななきゃいけない理由がある感じ。それに生きる理由もない。

虚無が心を蝕むように、無力感が体を支配するように、息をすることでさえ億劫になる。同じ日々を繰り返すなんて何もしてないのと変わらない。

ほら。私の心の内を少し語っただけでこいつの言葉が魅力的になった。いや、何かの意味を持った、と言ったほうが正しいか。

何も言わない私にしびれを切らしたのか先程と同じ言葉が私の耳に届く。

「殺させて」

前のめりに私に近づいて、「断らないで」とでも言いたげな瞳に私が映る。はいか、いいえか。その答えを急かすように、どちらか一方を私に言わせようとする。しかし、いいえと言う私は一ミリも望まれていない。

早く言わないとっ…。そんな焦りは全くない。答える必要がないからだ。答える義務も権利もこの場には存在しない。そんなこと今はどうでもいい。くだらない焦りや動揺より何より、興味と好奇心が心の大部分を占めてしまっている。

もしも、はいと言ったらこいつは喜ぶのだろうか。バカだと笑うのだろうか。言葉にするより先に行動を起こすのだろうか。その瞳の奥にいる、こいつにとっての私はどんな姿をしているのか。

もしも、いいえと言ったら私の体は無事でいられるだろうか。

末恐ろしいな、人間は。恐怖を感じていた自分が恋しいくらいだ。

返答なんて決まっている。人間らしいじゃないか。興味、好奇心、恐怖で動くなんて。こいつと私は誰より人間らしい。

面白い。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?