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藤色のスニーカーのこと

その子は藤色のスニーカーを履いていた。

とっても春らしくて、キレイなその色は、私の好きな色で、多分、私の娘も好きそうな色だった。

大学病院の待合室。

たくさんの人がいる中で、私はなぜかその子の足元から目が離せなかった。

その子は、車椅子に乗っていて、お母さんらしき人と一緒だった。

私にはよく分からないけれど、寝たきり、とまではいかずとも、おそらく日常生活の様々な場面で、サポートが必要なのだろう、ということは見ていて分かった。


こんなふうに、車椅子に乗っていたり、手足が不自由だったり、病気のお子さんを見ると、私は、これまで、よく、そっと目を逸らすことが多かった。

じろじろ見てはいけない、みたいな思いがまずあって、次には、自分の子供は健康でよかった、という思いが出てくる。

自分の子供が健康であること、目が見えて、耳が聞こえて、しゃべれて、手足が自由に使えて、好きな所に行けて。

それに対する感謝、と言えば聞こえはいいけれど、ぶっちゃけて言えば、ああ、うちの子はこうでなくてよかった、っていうダークな思いがないとは言い切れない、というか、ある。

私はそういう人間だった。

そういう自分のダークな部分を、見なくてよいようにするために、私はそっと目を逸らす。24時間テレビとかも私はあんまり見たくない。


でも。
今日、藤色のスニーカーを見た私は、ああ、あなたも、こういう色が好きなのね、うちの娘とおんなじね、ってそんなふうに思った。

その時の私は、ただ、フラットに、その子を見ていた気がする。

かわいそうとか気の毒にとか、親御さん大変だろうなとか、そういうの一切なくて、うちの子はこうでなくてよかった、とかもなくて。

ただ、その子を
藤色のスニーカーを選んだその子を
春らしい色を選んで身に着けて、大学病院を受診したその子を

とても愛おしく思えていた。

だから、キレイな色ね、とっても似合ってるね、って心の中で話しかけた。
お大事にね、とも伝えて、私はその子に愛を送った。

そうしたら、あなたもね、って返ってきた。

ありがとう、って私は答えた。

その子は、首を動かすことも少し不自由そうだったけれど、ゆっくりとこちらを向いて、私を見た。

表情は多分、笑ってる。私も、マスクの下、笑顔を見せる。


ひとつ、私の心をクリアにしてくれた彼女を思う。

私の心に、またいつかダークな思いが出てきたら。

その時、私は、あの藤色を思い出す。

彼女と交わした笑顔と愛を思い出す。




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