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成長って?

「何でも早くできるようになることが成長だと思っていた。でも違った。何でも丁寧にできるようになることが成長だった。」

これは、松下幸之助さんの言葉だ。

この言葉に出会ったのは三十代手前の頃。

いろんなことが空回りしているような、将来に続く確実なものなんて何ひとつ持っていないような、回り道してるだけじゃないかって思えてしまうような、そんな徒労にも感じられる日々の中で出会った。

だから、何でも早くできるようになることが成長ではない、という部分には勇気付けられた。
うん、結婚、出産が全てではないもんね。
仕事だって、その都度その都度覚えていったり、新しい人とうまくやっていくしかないよね、って。

でも、丁寧にやること、と成長、とは私の中ではいまひとつ結びつかなかった。

丁寧にやること、それは大事なことだろうけれど、必ずしも成長とは関係ない、むしろ性格の問題のようにさえ思えていた。

でも、つい最近、フォロワーさんの記事を読んで、丁寧にやること、の意味が初めて分かった。

二十年来の疑問が解けた✨

丁寧にやること、はそこに愛を込めること。

愛のある人間になることが、魂の成長。


そんなふうに理解できた。


私たちは毎日、無数の選択や行動や言葉を通して日常を生きている。

それら全てのものに丁寧さを、心を、愛を込めるとするならば、この世の中はどんなにあったかくなるだろう、と思う。

ひとつひとつの所作、靴を脱ぐ、ドアを閉める、箸を置く、そんな小さな日常のひとコマに、ほんの少しのゆとりと愛を込めてみる。

次の人が使いやすいように、とか、急いでる人がいるからお先にどうぞ、とか、周りのため、だけでなくても、何よりも、自分自身のために、ひとつひとつの行為を丁寧に、心を込めて、愛を込めてあげる。

自分自身を愛してあげる。
自分自身を大切にしてあげる。

それが、自分で自分を満たせる大人であるということなのだと思う。

自分で自分を満たせる大人であること、それが、何にも依存や執着をしない、自立した大人であるということ。

つまり、成長、ということだ。


このnoteの中では、いろんな記事を読んで、あ、これは私が考えてたことと似てる、とか、今回みたいに、ああ、そういうことだったのか、って初めて分かったり、とにかくいろんな刺激や気付きをもらっている。

そしてインスパイアされて、何か書いてみたり、実践してみたり。

だから私の書くものも、どこかの誰かの刺激になったりしていたら嬉しい。

そんなふうに、言葉や思いのキャッチボールみたいなことが、このnoteという空間の中でできていたら楽しい、って思う。

愛の循環、っていう言葉を聞いたことがある。
ステキな言葉だなあ、って思った。

言葉や思いのキャッチボールも、多分スキやサポートボタンも、きっと愛の循環だ。

自分が放ったものは、巡り巡っていつか自分に帰ってくる。

愛を放てば、いつか愛が帰ってくる。

愛の種を蒔けば、いつか愛の花が咲く。

日々の雑事に追われる毎日でも、ほんのひと粒だけでも、自分の中に、愛の種を蒔いてあげる。

咲くわけないじゃん、って投げ出してしまいたくなるような日にも、それでも水をあげてみる、咲くの待ってるからね、って話しかけてあげる。

「愛は実践してこそ意味がある」
確か若松英輔さんのエッセイにあった言葉だ。

自分自身を愛してあげる。

自分の行いに丁寧さを、心を、愛を込める、という実践で。

自分自身への、その愛は、いつかあなたの中に愛の花を咲かす。

その花の美しさは、あなたを照らし、周りをも照らしてゆく。

あなた自身を、愛ある、大きな存在へと、いつしか成長させている。


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