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ぜーんぶ無駄?

Eテレの0655で、面白い歌をやっていた。

阿佐ヶ谷姉妹が歌う、「糠に釘」。

糠に釘、豆腐にかすがい、暖簾に腕押し、馬耳東風...などなど、何の役にも立たない、無駄なことの例えやことわざがひたすら紹介される歌。

その数、何と十三個。

無駄なことのたとえをこんなに集めること自体無駄かもしれないけど、でも面白い。

ていうか、何で、無駄を表す言い方が、こんなにもあるんだ、とそれが興味深かった。

ことわざって、外国にもあるけれど、日本とおんなじような表現になっていたりするものもある。

日本では、覆水盆に返らず。

英語では
It is no use crying over spilt milk.
こぼれたミルクを嘆いても仕方ない。

そのまんま、な感じで面白い。

こういうのを見ると、やっぱり人間の考えることって全部天とつながってるのかな、とか、集合的無意識、みたいなことを思ったりする。


それと同時に、その国の文化や風土に密着した言葉は数多く生まれる、ということも考える。

四季があって自然を尊ぶ日本には、季節や自然に関する美しい言葉がたくさんあるように。

そうであれば、無駄、を表す言葉がたくさんあるのは、日本人にとって、無駄、というものが、ある意味、大きな存在だったのかな、とも思ったりする。

茶道とかだって、一見無駄なような、でも、その空間や所作という形そのものに美を感じるというか。

あるいは着物の裏地に装飾を施すような、それだって、人には見えないから無駄、って思えば思えるはずだけど、そういうものに粋、とかを感じるような。

そういう、日本人の感性とか美意識、ってとっても素敵だな、って思う。

そういえば、川端康成の「雪国」でも、徒労、という言葉がひとつのキーワードでもある気がする。

生きてることそれ自体、もしかしたら、意味とか求めてもしょうがないことで、この世で人間がやることなんて、ただの自己満足に過ぎないのかもしれない、なんて思ったりする。

でも、それは、だったら意味ないじゃん、って投げやりになることではなくって、良寛さまの「遊びをせんとや生まれけん」みたいな、とっても自由な心持ちにつながってゆくためのもの。

私はツインレイ関連のことをよく書いているけれど、それだって、自分の気持ちに折り合いをつけるために、何らかの意味とか考えてるだけで、本当は、意味なんてなくって、いらなくって、ただ、彼を愛したいから愛する、ってただそれだけだった。

現実的に見れば、私が彼を愛することは、愚かで、ろくでもなくって、意味なんて求めたら、それこそ無駄、徒労、何バカなことやってんの?って言われるようなことだ。

歌の中には、貝殻で海を干す、というのもあった。
小さな貝殻に水を汲み、それで海の水を全部汲もうとしてる。

バカじゃん、って人は指さして笑うだろう。

でも、バカにはバカなりの景色があって、世界があって、理想があるのかもしれなかった。


『現実は幻だから』
そんなことを宇宙から言われたことがある。

彼とのことで、私が今まで歩んできた、夫との二十年間がいとも簡単にひっくり返ったように感じて、愕然とした時。

幻だったら幻なりに、抗わずに全部受け流してしまえばいい。

幻だったら幻なりに、全部楽しんで、遊んでしまえばいい。


無駄、を楽しんでしまえること。

その余裕、みたいなものはやっぱり美しい。

それは日本人の美徳であって、だからこそ、ユーモアとして、昔から、こんなにもたくさんの、無駄を表す言葉が生まれ、それを楽しんじゃえるクリエイターの方が、今、この楽しい歌をつくってくれた。

やっぱり人生はぜーんぶ楽しんじゃったほうがいい。







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