見出し画像

生きるセンスの磨き方

生きることにセンスなんてあるのでしょうか?

私は体育会系出身なこともあり、どちらかというと「泥臭い努力に勝るものはない」「量は質を凌駕する」という根性論が染み付いています。ところがSNSを見ていると、世の中には生きるセンスが高い人がいるのではないか?と思えるようになりました。

今日は3つの視点から、生きるセンスについて考えてみたいと思います。

目次

1. 全ては等価交換
2. 組み換え可能な忙しさ
3. 生きるセンスを磨くには?


1.  全ては等価交換


私は5ヶ月前に準備0で独立しました。きっかけは去年交通事故に遭い、10回の手術を受け、大好きな会社を解雇されたこと。辞めなければならないとわかった日はさすがに泣きつかれて眠りましたが、次の日から100%切り替えました。

なぜなら常々、以下のことを自分の人生から削除したいと思っていたから。

・無駄な通勤時間
・無駄な会議
・無駄な人間関係のしがらみ
・無駄な会社の規則
・自分で働く人、仕事を選べない不自由さ


そこで、全て自分で選ぶことのできるフリーランスという道を選びました。

フリーランスになって分かりやすく等価交換できたのは


・約12時間の拘束時間(勤務時間&残業時間&移動時間)
→約12時間の自由時間

・決まった給料→自分次第の収入


私の場合、今契約している企業は全てリモートワークにしているので、通勤時間はありません。また勤務時間も決まっていないので、何時から何時まで仕事をするという概念もありません。逆に言うと、いつも仕事をしているとも言えるかもしれません。


なぜなら、SNSを使っている時間、誰かと会っている時間、どこかに行っている時間全てが仕事のアイディアになり、インプットになり、自分の経験になるからです。



勿論決まった給料はないので収入面の不安はありますが、会社が倒産したり、解雇されたこともある私は、会社員=安定という概念はありません。だから必死に毎秒毎秒、無駄にせずに楽しみながら生きるのみです。


2.  組み換え可能な忙しさ


私が独立したかった大きな理由の1つに
「チャンスをいつでも掴める余白のある自分でいたい」
ということがありました。


どういうことかと言うと

・会いたい人に「今日何時にここに来れる?」と聞かれた時に
駆けつけられる時間の余白

・やりたい仕事が目の前に来た時に
即座に手を伸ばすことができる仕事の余白

・元気付けたい人がいるときに、全力でサポートできる精神の余白

などです。


会社員だった時はフレックス制が導入されているとはいえ、やはり拘束されている感は否めませんでした。そしてそれでいかに機会を損失しているかも気付いていました。

だからこの「組み換え可能な忙しさ=余白」を手に入れたことは、私にとって大きな意味を持っています。


3.  生きるセンスを磨くには?


生きるセンスを磨く、
そのためには「とにかく行動する=多動力」しかありません。

何かを見つけるためにはまず情報収集。
そして行動する。
自分に合ったものが見つかるまで、色々なことに挑戦し、色々な人に会い、トライ&エラーを繰り返すしかありません。

私が大好きなエジソンの言葉に、こんな言葉があります。


私は失敗したことがない。

ただ、1万通りの、

うまく行かない方法を

見つけただけだ。


「好きなことを仕事にしたいけど、好きなことが分からない」と相談されることがありますが、見つかるまで探し続けてましょう!

軽い気持ちで色々なことに挑戦してみてください。
合わなければ辞めればいい。

最初から完璧を目指すから、一歩を踏み出すのが怖くなるのです。

ボールは軽く投げる。ただし立つ打席はできる限り多く!


では「人から求められること」とはなんでしょうか?

それを見極めるには、発信するしかありません。
なぜなら発信して初めて、人からの反応がわかるからです。


自分は力作だと思った記事が意外と反応が少ない。
軽い気持ちでつぶやいたツイートが予想外にバズった。

こうやって人から求められることのサンプルが増えていくのです。


発信すること、それは常にみんなから
フィードバックをもらっているということです。

反応がないこともフィードバック。それは求められていないか、発信の方法が良くないかということ。マーケティングをしている気持ちで、発信を続けてみましょう。

それではまた!