令和6年能登半島地震、羽田空港日本航空516便・海保機炎上


2024年1月1日、1月2日と続けての自然災害と事故による突然のご不幸大変心苦しく思います。

報道から今今の今も
心臓をきつく握りつぶされるように緊張しています。

何度も襲いかかる止まらない地震に諦めたくなるかと思います。
普段の生活を一式奪われた人、大切な人を失い、自分の身体以外を失った人、書き表せないほど想像できないほど、あらゆる被害の最中だと思います。
早く楽になりたいと願うかと思います。
でもどうか諦めないでください。
今絶望だとしても、きっときっと希望があるはずです。

現当事者はもちろん
過去別の当事者の方もPTSDで呼吸が浅くなっていると思います。

通常の生活を送れている人たちはこれからのためにも元気である必要があります。
だから罪悪感を過剰に抱かずにどうか笑って過ごして下さい。

私の話をすると
2011年3月11日東日本大震災があったその時、まだ北海道の高校3年生。春休みでした。
彼氏の家で彼と弟とテレビを見ながら過ごしていた時の地震でした。
彼の家と私の実家は少し離れていて、我が家は海沿いにあり津波の警報の範囲内でした。
幸い被害は少ないですが、車道と線路に波が入りその日私は帰宅できませんでした。
親は祖父母の元と仕事場に避難していました。

その日からずっと私はテレビやインターネットで被害情報を浴び続け、3月下旬に上京が決まっていたものの私は上京を拒みました。
すると父から情報過多のノイローゼの指摘が入り強く叱られました。

無意識に私は被害の情報摂取による精神的自傷行為をしていたのだと気づき、予定通り上京しました。
そのおかげで今を過ごせています。
ノイローゼのままに違う選択をしていたらまた違った人生を歩んでいたと思いますが、心は別の呪縛に囚われていたとは思います。

当事者じゃなくともPTSDになる可能性があります。
どんなに仕方がないことでも受け入れ難いことは沢山あります。

ただ、全員が心病んでしまうと
救える人も救えなくなります。
個人でできる救済には限りがあります。
私たちができるのは募金です。
募金ができない人も悪ではないです。


色々な募金がありますが、わからない人は一番上でいいと思います。

今回の件で私は友人といる時間に非常に助けられました。
無理に話さないようにしたり
話すようにしたりそういうの辞めました。
あくまで自然に過ごしました。

どうか一人でも笑える人が、日が増えますように。
諦めませんように。
そう私は私に言い聞かせてます。

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