年子の妹のこと

わたしには、ふたりの妹がいる。

年子の妹と、4歳下の妹。三姉妹だ。


きょうだいがいると、よく
“末っ子が大事にされる、甘やかされる”
“長男長女は厳しく育てられる”
“長男長女は弟妹がうらやましい”
とか言われることが多いような気がする。

一般的に多いというだけで、
当てはまらないきょうだいも、もちろんたくさんいるとは思う。

わたしたち姉妹もそうだ。

父は、姉妹全員に対等だったと思うけど、母は、小さい頃から病弱だったわたしにつきっきりになることが多かった。

赤ちゃんの頃、わたしは夜泣きをよくしていたようで、大変だったと母から聞かされた。
そんな中産まれた年子の妹は、逆に全然泣かない子で、お乳を飲んだらすぐに寝て、飲んで寝て、の繰り返しだったとか。
おかげで、わたしに手間がかかる分妹は全然手間がかからなかったので、母はこれ幸いとばかりに、妹を寝かしつけてそのままにすることが多かった。
そのせいで、半年検診の時にも妹は首が座っていなくて、先生にこっぴどく注意されたと母が言っていた。

また、わたしは3歳頃から小児喘息を発症したため、発作が出た時には母がつきっきりで看病してくれた。それこそ昼夜問わず発作は起こるため、夜中に発作が出れば、落ち着くまで母はわたしの背中を叩いたりおんぶして外の空気を吸わせてくれたり、学校で発作が出ればすぐに迎えにきてくれたりした。夜が明けても発作が治らない時には、父がかかりつけの病院まで自転車を飛ばして朝一で連れて行ってくれて、点滴をして眠っているわたしの横で読書などをしながら半日の時間を潰してくれた。

喘息は本当につらくて、何度ももう死ぬかもしれないと思ったりもしたけれど、発作が起きるたびに看病してくれる母と、母の手が離せない時には妹たちが背中を叩いてくれて、子どもながら家族には申し訳ないな…と思っていた。喘息のせいで妹たちよりもやせ細っていたわたしは、小学校低学年くらいまでベビーカーに乗って、妹に押してもらって病院まで行っていたりした。

“至れり尽くせり”
まさにこの言葉がぴったりだなって思えるくらい、家族みんなでわたしの看病をしてくれた。本当に本当に、今でも心から感謝している。みんなが助けてくれていなかったら、わたしはどこかのタイミングで死んでいたかもしれない。

そんなこともあって、おそらく妹たちは、母のわたしへの態度を特別だと感じてしまったのだと思う。
たしかに、特別ではあったのだけれど。

極め付けは「あんたも事件」。
わたしが3,4歳、年子の妹が2,3歳の頃に親戚の家に遊びに行った時のこと。
その家に住んでいた祖母とわたしと妹の三人で、おもちゃのメガネで遊んでいた。内容は、そのメガネをひとりずつ順番にかけて回していく、という子ども心には面白かったのだと思われる遊びをしていた。
祖母がメガネをかけて、それを机に置いた時、妹が「あんたも!あんたも!」と声をあげた。それを聞いた祖母は、妹が自分にもう一度メガネをかけろと言っているものだと思い、再度メガネを手に取り自分にかけた。
すると妹は、さらに激しく「あんたもー!あんたもー!」とわめきだした。わけがわからなくなった祖母とわたしが、母や他の親戚に助けを求めたところ、衝撃の事実が発覚したのだった。
妹は、自分の名前を「あんたも」だと思い込んでいた。
自分もメガネをかけたくて「あんたも(自分も)!あんたも(自分も)!」と叫んでいたのだ。
なぜ妹は、自分のことを「あんたも」だと思い込んでしまったのか?
それは、母がわたしに「りさ、これ食べる?」と聞いたあと、妹に「あんたも食べる?」といった風に、常日頃からわたしには名前を呼んで聞いたあとに、妹のことは名前で呼ばずに「あんたも?」と言ってしまっていたからだった。
その後、母は親戚からも叱られたと言っていた。

この出来事自体はわたしは覚えていないけれど、話を聞いた時に、妹のことをひどく気の毒に思った・・・

そんな妹は、小学校中学年頃まで、かなりのお姉ちゃんっ子だった。

わたしが今でも覚えているのは、わたしが幼稚園年中組の時、年少組の妹がわたしから離れず毎日わたしのクラスに一緒に登園していたこと。妹はかなりの人見知りだった。どんな時もわたしから離れず、幼稚園の給食も一緒に食べていた記憶がある。
でも、そんなある日、わたしが高熱を出してどうしても幼稚園を休まないといけなくなった。
お迎えのバスに乗り込む段階で妹は大号泣&大暴れ。母と先生が羽交い締めにしながら何とかバスに乗せ、妹人生初のひとり登園となった。
帰宅の時間。バスから降りてきた妹は、けろっとしていた。
「大丈夫だった〜明日からひとりでも大丈夫!」
そう言ってニコニコしていたとか。

当時のわたしは、なんだかんだそんな妹がかわいくて仕方なかったのを覚えている。「自分が守らなきゃ」って思っていたのも覚えている。

幼稚園のエピソードで、いまだに不思議だなぁと思うことがひとつ。
たしか、わたしが年長で妹が年中の時、わたしの元に一人の先生が駆け寄ってきて「妹ちゃんがケガをしたの!りさちゃんも来てくれる?」と言われた。えっ!?と驚いて、先生と一緒に妹のいる部屋に行くと、頭にタオルを当てて横になっている妹がいた。泣いたりはせずにただ目を閉じていたように思う。妹はロッカーの上に置いてあった本棚の飛び出ていた角に、立ち上がった際に頭をぶつけて切ってしまったらしい。結構血が出ていたとか。
それから、誰かの車に乗って近くの病院まで移動したのだけど、その時後部座席に先生とわたしと妹で乗って、妹はわたしのひざまくらで横になっていたその光景を、今でもすごく覚えている。
病院について、妹は頭を縫ったらしく、割と大きな傷だったとは思うのだけど、そのあと駆けつけた母は「こんなのすぐ治るんで大丈夫大丈夫!」と笑いながら言い放ち、妹も特にそのあとも泣いたりせず、何事もなかったかのようにその件は収束した。(母のこういうところ、わたしはとても好き。)
ただ、姉とはいえど、当時のわたしは5歳とかそのくらい。先生はなんでわたしを呼んで一緒に来て、と言ったのだろう、とそのことについては、いまでも疑問に思っている。



妹がいたから、わたしは“おねえちゃん”になれた。

それはもうひとりの妹に対しても同じことを思うのだけど。
だけどやっぱり、“年子”って、ある時期までは常に一緒に行動したり、お揃いの服を着させられたり、ちょっと双子っぽいところもある。

一歳しか違わないんだけど、その一歳が大きい時もある。

わたしは長女だから“お姉ちゃん”“お兄ちゃん”という感覚はわからないけれど、妹がいてよかったなぁって思うことは多々ある。妹たちのおかげで、幼少期がとても充実していたようにも思う。


妹たちにとってのわたしって、どんな存在なんだろうなぁ。

そんなこと、照れくさくて一生聞けないと思うのだけど。笑


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