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ことのは、ことだま

「#君のことばに救われた」エピソードを
メモに書いている途中で止まってる。

確か、9月終わり頃に一気にバーっと書いて
続きはちょこちょこ書いていこうと思っていたけど
それ以来手をつけていない、、、
締切が12/31だからまだ平気、
そんな風に思っちゃっているのがもうダメだ。
結局ギリギリになって慌てて書き上げることになりそうなので、
今日からまたちゃんと書いていこうと思う!

【ことば】関連で、わたしが普段から感じていることを。

Twitterでも少し書いたんだけど、
わたしは”言霊”を信じている。

自分が発した言葉って、少なからず自分や周りに影響を与えていると思う。

例えば、自分でもしかしたらダメかもしれない…と思っている時に
「だめだ、絶対にだめだ。うまく行くはずがない。」
と言葉に出してしまうと、少なからず<だめ>な方に比重がいってしまって、できるかもしれないのに、自らだめな方に進んでいこうとしているようでだめだと思い込もうとしているようで、もったいないな…と。

例えば、自分が歳を重ねていって、若い人たちよりも歳を取って老いているのは当たり前で仕方のないことだと思う。
だからといって自分のことを「ばばあ」とか「おばさん」って言うと、”私は自分のこと若いとは思ってませんよ”というアピールとともに「自分はおばさんだからしょうがない、若い子に敵うはずがない」っていう安心感を得られるかもしれないけれど、それはただの思い込みであってそれで許されると思ってしまう<甘え>でもあると思う。いわば保険のような。
それに、自分のことを「おばさん」だと口に出したり表現してしまうたびに、本当に=自分になってしまいそうで、わたしはそれがとても怖いし嫌だ。

例えば、「うざい」「クソ」「ふざけんな」とか、いわゆる<汚い言葉遣い>も、発してしまうことで自分がどんどん汚れていってしまうように感じる。それに、その言葉を言われた相手はもちろん周りで偶々耳にしてしまった人たちも嫌な気持ちになるはず。だから、わたしはそういった言葉をできるだけ発さないようにしているし、近づかないようにもしている…醜い感情に侵食されていくことは、自分の価値も落としてしまっているようで。


マイナスなことばかり書いてきたけど、
もちろんプラスな言霊も信じてる。


例えば、悩んでいる彼氏や同僚に対してはポジティブな言葉をかけるようにしている。もちろん、無責任に「大丈夫」と言い放つのではなくて、落ち込んでいる側からは見えない意見を伝えた上で「だから、大丈夫」という感じで。同調も必要だし大切なことだと思うけど、ネガティブな同調を続けていると負のオーラに包まれてしまいそうで…本当にダメになってしまう気がしてしまう。

例えば、難しい課題に直面した時に「なんとかなる!やってみなきゃわからない!」と声に出してみるとか。
<成るように成る>が今のわたしの好きな言葉で。昔は<為せば成る、為さねば成らん何事も>だった。昔に比べると結果任せになっている気もするけど(笑)、”やってみないとわからない”というところは変わってないかなあ。
難しい、無理だと思う課題でも一生懸命やってみたら、実はクリアできちゃうかもしれないし、ギリギリダメでも絶対に得られるものはあるし、ダメだったとしてもその時の状況によって次にどうすればいいのか考えればいい、と思うようにしてる。
「無理だ」と言ってしまうのは、本当にダメだった時の言い訳を最初に言っているだけと思うから。ダメだった時に「やっぱりね、無理だって言ってたでしょ。」って。そんな言い訳かっこよくない。
もちろん全てがうまくいくとは思っていないけど、それでも実際なんとかなってきているから”今”があるんじゃないかな。


言葉遣いって、一朝一夕で身につくものではないし、気をつけていても普段使っている言葉がぽろっと出てきちゃうと思う。
乱暴な言葉遣いの人よりも、丁寧な言葉遣いの人の方が印象も良いし、使っている言葉が綺麗というだけでその人自体も清い人に見える気がする。

わたしも、そんな人でいたいと思う。ただそれだけ。

あとは、「ら抜き言葉」とかもすごい気になる〜っていう話は、本当に個人的に感じていることで、言い出したらきりがないので自分の心に留めておくことにする!笑
今の世の中「ら抜き言葉」なんて溢れてるし、最早それが普通だと思っている人たちも多いんじゃないかな、、、

昔の情緒あふれる言葉たちに触れると、自然と「綺麗な言葉を使いたいな」と思えるんだよねぇ。。

という余談〜。笑

タイトル画像は、先日彼が作ってくれたクッキーたちです♡

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